NIGHT SCRAPS

今 https://note.com/star_gazer_

トゥオブアス

 目覚めると、部屋はもう薄暗くて、外から来る光も柔らかいものになっていた。頭が少し痛む。うーん、何時間眠っただろうか。スマートフォンを見るとまだ通話中だった。昨日の夜遅くから友だちと電話を始めて、現在の時刻は午後七時。もうずいぶん長いあいだ通話をしていた。友だちはたぶん勉強をしていて、僕が目覚めるとだらだらと言葉を交わした。辺りからは何の音も聞こえない。僕と、その友だちの声だけが響いている感じがした。

 手軽な言葉はずいぶん便利だ。好きだとか嫌いだとか、良いとか悪いとか。簡潔な言葉ほどダイレクトに、ストレートに伝う。でもそういう常套句は、温度が分かりづらい。例えば、あるミュージシャンをインディーズの頃から応援してきたマニアと、つい最近知ったファンの「好き」は、文字にすれば同じ「好き」だ。「10年前からあなたの音楽を知って、青春を過ごしてきました。私が今までで一番聴いた音楽はあなたの音楽ですし、これからもそうだと思います」。こう言ってしまえば、すごい熱量をこめているんだなあと、それなりに伝わる。でも、ツイッターの文字数制限を越えるくらいの言葉で「これくらい好きなんです」と伝えることはかなりむつかしいし、もしかしたら相手に不快感さえ抱かせるかもしれない。だから僕らは、ただふつうに「好き」だと言う。

 僕は、手軽な言葉を使いながら、長い言葉を愛でている。誰か好きな人と電話したり、小説世界に潜り込んだり、知らない人のブログを読んでみたり。今日は村上春樹さんのラジオを聴いた。村上さんの声を初めて聞き、カフェで二人きり、村上さんの流す音楽や話す言葉をそばで聞いているような気分だった。星野源さんが雑誌の企画でいろんな人たちと二人きりで話しているのも、きっとその延長だろうと思った。「今日も暑いね」なんてところから始まって、だんだん深海の方へ進んでいく。ときには沈黙や微笑みもひとつの言葉になって、対話が綴られる。

 もう外は真っ暗になってしまった。エアコンの「ゴー」という音がするだけで、あとは何も聞こえてこない。子供の頃から、「こんなときにも自分の好きな人は仕事したりご飯食べたりしているんだろうな」と考えていた。何かワクワクするようなことや、とても悲しいことが、僕がベッドに横になっているときにも静かに進行している。友だちは今なにをしているのか分からない。家族はもう眠っただろうか。帰省したら喋りたいことがいくつかある。離れていても、対話は続いているのかもしれないと思った。 

Two of Us

Two of Us

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望郷巡り

 けだるい気温の中、逃げるように大学を歩いた。ついさっきまでの緊張感がさっと去ったから、腰が抜けるような脱力感がふっと訪れた。試験の間はお腹が空いていたけど、終わった今はもうそれも居なくなっている。スーパーに寄って必要な分の買い物を済ませ、店を出ると気温差から眼鏡が少し曇った。

 ここ数日、タオルの欠かせない日々だ。ベッドに横たわっていると、あるイメージがふわりと浮かんでくる。青い草が茂っている、湿地。遠くの方に、誰も住んでいなさそうな古ぼけた家が建っている。雲のないクリーム色の空の下で、風に吹かれながら僕はそれを見ている。数年前の夏に読んだ『思い出のマーニ―』の風景だ。いろいろ誤差はあるかもしれないけど、目をつむって現れる景色はこんな感じ。そして、その本を読んでいる自分の姿も曖昧ながらも思い出せる。誰もいない部屋で机に座り、エアコンの風にあたりながらページを捲っている。この小説を読んでいるとき、僕はその湿地の住民だった。風車小屋の中で激しい雨風と闇の気配におびえた。

 こんなことは素晴らしい小説を読んでいると自然と起こる。森見登美彦さんの『夜は短し恋せよ乙女』や『四畳半神話大系』を読んでいるとき、僕は見たこともない京都の町を練り歩いた。夜の町には提灯がともり、ずいぶん古そうな路面電車がのろのろと走っている。鴨川ではロケット花火が炸裂し、どこかの古本市で火鍋が行われている。あちらこちらで騒ぎがひしめいている町で、僕も忙しそうに走り回った。

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んでいる僕は、迷える青年だった。この小説を読んだのはいつだったろう。直子に手紙を書き、大学で授業を受け、その帰りに緑と食事をする。レイコさんの弾くビートルズに耳を傾ける。悲しみに暮れ、一人旅に出る。そしてそっと、緑に電話をかけてみる...。話のすべては覚えていないけど、ところどころは記憶している。それは、「僕」という身体を借りてその世界の空気に触れたからだ。本のカバーを手に取ってみると、そのときの経験がぱっと目を覚ます。

 きっとそうやって色々逃避してきたんだろうと思う。つらいときに『こころ』の「私」になって先生とともに散歩したり、伊坂幸太郎の『砂漠』の「北村」になって大学のメンバーと麻雀をしたり。それはまるで、この空間の自分ではできないことを平行世界の自分に任せて、経験だけを頂いているような感じだ。文字から風景が浮かんでくる。そしてそこを歩いているうちに、自分の居場所を見つける。カメラのシャッターを切り、自分がそこにいたのだと頭に焼き付ける。

まとめ(1)

 昔に書いた記事がずいぶんの下の方に埋没してしまったので、まとめて見やすくしようと思います。

1.Night Zombies

 夜行性の自分のことについてあれこれ書きました。

r46abfcfd77x7me05se181.hatenablog.com

2.私を構成する9枚

 ツイッターのタグでやった自分の好きなアルバム9枚について。

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3.くだらないの中に

 お洒落さに憧れてるけど、地味な生活も好きだなあ。

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4.嘘を愛するとき

フィクションが果たしている(と思っている)役割について。

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5.暗闇に目を凝らす

 新しい環境に突入するみなさんへ。

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6.何にもしない

 計画性がまるでない自分について。

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7.夜はうつくしい

 大好きな小説『すべて真夜中の恋人たち』について。

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8.休みが必要だ

 奥田民生の「コーヒー」が好きです。

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8.素晴らしきブロマンス

 男同士の友情について割と熱く。

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9.楽しさを寝かせよう

 旅をするより、その前の日が一番楽しい。

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10.友愛の修辞法

 友人への愛の告白、その難しさ。
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 これからもぼちぼち書いていくので宜しくお願いします。

怪電波

 雨雲は町から青さを奪うだけじゃなくて、心の中からも元気がすうっと薄れてしまう。昨夜はなかなか眠れず、ずっと動画を見たりしていた。一度軋んだリズムはなかなか戻すのはむつかしくて、そうして心身の体調を崩したりしてしまった。でもコップに溜まったうつうつとしたものを文字に還してみたら何となく元気になって、今日も町に出た。

 いろいろな音楽を探していて、椎名林檎トータス松本の「目抜き通り」を聞いたら少しだけ勇気が湧いてきて、今日は明るい椎名林檎の曲を聴こうと思った。東京事変の「勝ち戦」に、ソロの「労働者」(切情とした労働者の気持ちをジャズロックのメロディでポップに仕上げた名曲だと思う)、そして「人生は夢だらけ」が流れた途端、目覚める感覚があった。自転車で本屋さんへ向かう途中だった。「この人生は夢だらけ」という歌詞とともに、楽器が一斉に奏ではじめる。脳から贅沢な水が絞り出されるのを感じたし、これで雑炊をしたならさぞ美味しいだろうと思った。自分の欲望をひたすら追い求めることを肯定するメッセージ。日常にぱっと花が開くような感覚。

 本屋さんに行って「コーネリアスのすべて』があるかなあと探したけど、なかったので、少しぶらぶらして帰ることにした。The Smithsの『Hatful of Hollow』がプリントされたTシャツを着て、自転車を漕ぐ。狭い道で緑が多く、近くにはグラウンドが見える。ユニフォームを着た子供たちが、シュートの練習をしていた。曇りなのに、音楽を聴いていると心が晴れ晴れとしてきて、汗をかいても気にならなかった。

 こういうとき、自分は全然関係ないようなところからすごく影響されているんだと感じる。自分の頭がアンテナを張っていて、どこかから勝手に電波をキャッチしている。良くないものも、すっごくワクワクするものもある。それはきっと、どこからともなく現れて、アンテナはそれに反応せざるを得ない。誰の声も割と簡単に届くようになった時代で、どれくらいの怪電波を拾うことになるんだろう。そして生きている間に僕はいくつの怪電波を飛ばすんだろう、あなたに。

 僕は昨夜、動画の中でずいぶん共感することを見つけた。コメントでは「怖い」とか言われていたけど、そういう「人と少し変わっているかもしれないけど、自分はこういう人です」というメッセージは、ずいぶん助かる。あと、本当にくだらないことも、どよぉんと沈んだ気配を切り裂いて笑いをもたらしてくれる。今日、ツタヤにいたら人とぶつかりそうになって、右に避けようとしたら相手もこちらに来て、じゃあ左に...と同じようなことを何回か繰り返し、恥ずかしくなって店を出ました。


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

ぽこぽこと、思考する(5)

・「すあだの宗教」という動画を見ていて、なんとなくわかる部分があると思った。自分は文章を書いているけれど、それを見る二人の自分がいる。一人は文章をまじまじと見つめて「うんうん、ここいいねえ」と褒めちぎる自分、もう一人は遠くで足を組んで眺めながら「そうかなあ」と皮肉る自分。これは割と普段でも当てはまる。テスト等でよくできたと思う自分と、んなわけないと思う自分。近視眼的な自分と鳥のように見下ろす自分が棲んでいるのだ。いや、そう思いたいだけなのかもしれない。分からないかもしれないけど、「変な奴」というのにカテゴライズされたい自分がいるのだ。変わった奴に見られたいという欲求が。でもよく考えたら、ずっと一人で遊んできたし、会話してきた相手も自分が一番多い。だからきっとそういうことなんだろう。だから人と会話するのもそんなに得意じゃないし、恥ずかしい。

すあだの宗教 ~イマジナリーフレンドとその位置~ - YouTube

・人は二度死ぬと誰かが言っている。一回目は、命が機能しなくなっての死。病気や事故、老衰なんかで陥る死。そしてもう一回目は、人に忘れられて記憶から無くなることでの死。高校からずうっと仲良かった友達と些細なことで喧嘩をしてしまって、(たぶん)ラインを消されてしまい、連絡が取れなくなった。離ればなれになる前からこうなるのかなと漠然と考えていたけど、本当になってしまった。彼は京都にいて、僕と会うことはないし、しかも彼は人と仲良くなるのが上手だから、不自由なく暮らしていると思う。僕はここでなんとかやっているけど、「すあだ」という人が彼の声とよく似ていて、ふと思い出してしまった。もう会うことはないんだと思うと、逆に会いたいと思う。非常に煩わしいし、会ったって面倒くさいんだろうけど。向こうでは僕は死んでいて、死人がどれだけ喚いても無駄なんだけど。

 ただの心のもやもやを吐き出したいだけの文章でした。御免なさい。 

Yer Blues

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ずっと眠っていたいんだ

 コーネリアス小山田圭吾)が、ジョニー・マーと一緒に写真に写っていた。

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 どういう関係性だろうと一瞬考えてしまったけど、小山田さんは若い頃からザ・スミスのファンだった。スミスのファーストが出たときに、高校のクラスメイトの家に遊びに行くとそこに小沢健二さんもいて話をするようになり、しばらくして「スミス買っちゃった」と言う電話がかかってきたらしい。そこからフリッパーズ・ギターが結成されたのだから、スミスが二人を結びつける一つの糸だったと言える。

 スミスのファーストは僕のお気に入りだ。「The Hand That Rocks The Cradle」や「This Charming Man」、「Still Ill」などが入っていて、瑞々しいマーのメロディにモリッシーの歌詞が刻まれている。モリッシーの詩集が欲しいなと思っているのだが、中古で買うしかなく、しかも値が張っているため、手が出せないでいる。モリッシーの良さは、陰鬱とした心情を巧みな言葉遣いで表していることで、「ずっと眠っていたいよ、働きたくなんかないさ」というメッセージを何十年と繰り返しているのだ。モリッシーの一貫性にはぞくぞくする。

 モリッシーの歌っている姿は、どこか魅せられる。胸元が大きく空いた服を着て、花束をぐるんぐるんと振っている。踊っている部分は岡村靖幸にも似て、気持ち悪さとかっこよさと両方を感じる。ミステリアスでエロティックで、やっぱり少し気持ち悪い。ついこの間、のんちゃんがスミスのTシャツを着ているのをツイッターで見かけ、アマゾンでスミスTを買ってしまった。明後日届く予定だ。多くの音楽作品はTシャツにした途端「Tシャツにプリントしたやつ」になってしまうけれど、スミスはなんだかかっこいい。そして何より、UKのロックシーンで「働きたくないよ、英国は僕の国なんだから生活を保障するべきだろ、僕だって他の人と同じように愛されたいよ」というスタンスを貫き、それがカリスマ化しているのは本当に素晴らしい。ある意味ニートの神様なのかもしれない。

 ジョニー・マーのフジでのステージを観ていたのだけど、スミス曲をかなりやってくれて嬉しかった。Youtubeのチャット欄で「ノエルが尊敬している人だよ」という言葉を見かけて少し悲しくなったけど。


Morrissey - Everyday Is Like Sunday

耽美なる

 大人になると分かる世界がある。大学の講義で耽美派について学んだ。耽美派と言えば、永井荷風谷崎潤一郎。大学生になりたての頃、本屋さんで谷崎の「刺青」を立ち読みしたのを思い出した。ほんの短い作品だけど、その強烈さは今でも覚えている。刺青師の清吉は、肌に針を刺すときの人びとの悶え苦しむ姿を見る度に、言いがたい恍惚感を感じていた。そんな彼の宿命は、美女の肌に己の魂を彫り込むこと。とある春、彼は使いに来たある娘に美しさを見出し、彼女に二枚の絵を見せる。一枚目は刑に処される男たちを冷たく見つめる女の絵、二枚目は「肥料」と題される、男たちの死体の上に佇む若い女の絵。そして娘を麻酔で眠らせて、背中に女郎蜘蛛の刺青を彫る。それが完成した時、清吉は空虚となり、彼女はつぶやく。「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」。

 歌を聴いていても、変態な歌詞を見るとにやりとしてしまう。僕は、キリンジスピッツが、とても知的で文学的で、でもしっかりとスケベで好きだ。キリンジの歌詞(特に兄の高樹さんの歌詞)でいいなあと思うのは、「雨を見くびるな」と「Drifter」や「地を這う者に翼はいらぬ」など。特に笑ってしまうのは「乳房の勾配」だ。タイトルが既に面白いけれど、最初の歌詞が「体だけさ それが目当てなんだ 悪いかい? 花環を食い散らかしてみたいんだ」なのだから、微笑みを禁じ得ない。しかもこれらが爽やかなメロディでさらさらと歌われるのだ。そして「雨を見くびるな」の「口づけで責めてみても カエルの顔にシャンパンか」が意味不明を極めていて、歌っていてとても楽しくなる。

 スピッツの歌詞は、多くの人が言っているように「死とセックス」が大きなテーマになっている。「青い車」の歌い出しである「僕の冷えた手が 君の首すじに咬みついてはじけた朝」というのも、なんだかいろんなイメージを想起させる。情事のあとに冷え切った関係なのか、絞殺についてのスケッチなのか...。どちらにせよ、何かしらの肉体の接触を感じる。死の近くの、冷え冷えとした二人。サビには「輪廻の果てへ飛び下りよう」とあるから、たぶんそういうことなのだろうと思うけれど、答えはない。

 タモリさんが「人間はみんな変態だよ」と、どこかで言っていた。動物はみな服を着ていない状態が普通なのに、ヒトは裸であることを恥じらう。耽美派の小説やいくつかの歌詞は、そうした「恥じらい」や「恍惚」をぐつぐつと煮て、美味しくなるように仕上げたものだと思う。桃色の世界を作るためにうんうんとペンを咥えている姿を想像すると、とても愉快だ。 

乳房の勾配 (feat. キリンジ)

乳房の勾配 (feat. キリンジ)

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