NIGHT SCRAPS

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ねむれメンヘラ

 ときどき、自分がメンヘラのように厄介な存在になる。『山月記』では李徴が虎になったけれど、僕はメンヘラになるのだ。普段はぼぉーっとしているのに、そんな夜になったら承認欲求は肥大して、ひたすら満たされてないことへの恐怖感でいっぱいになる。誰かを犠牲にしたり、依存したりすることを考える。でもそれは駄目だと分かっているから、ただ一人で噛み殺す。

 NHKのドキュメンタリーで「無縁社会」に関するものをよく見るけど、日に日にそういうのを感じる。出会い系のアプリが増えているのも人気があるのもなんとなく分かる。わざわざそんなアプリを使ってまで...と思うけど、確かに人と出会うのはむつかしい。

 今までの人間関係をいろいろと煩わせてきたのもこの「メンヘラ」だ。嫉妬深さや粘着質な部分、底知れないウザさで困らせてきた。これ以上誰かに迷惑をかけるわけにはゆかない。メンヘラを永遠に眠らせておくためには、一人っきりでいるしかないんだ。だけどそれは氷河期の中で生きていくぐらい困難なことで、人の手は何より温かい。「メンヘラ」の構造はあんまり分からないし、朝になると真人間になっているからどうしようもない。

 メンヘラ現象は、頭をうんうんと働いているときふと起こるものかもしれない。色んな課題を前にして延々「どうしよう」と焦っていると、ちらりと見える誰かの幸せが欲しくなってしまう。あの人は本当に何にもしてなさそうなのにあんなに幸せそうで、自分は本当に何にもなくてほとほと悲しい。もしかしたら、普段からそういう嫉みは小さいながらも感じていて、蓄積されて溢れたその瞬間「メンヘラ」になる(のかな)。

 いつの間にか誰かに正直な気持ちを吐露することができずに、ここで吐き出している。生ごみが腐ったみたいな臭いでいっぱいだけど、ごめんなさい。たぶん今はメンヘラじゃないと思うけど、またそんな症状が出たら、すぐ寝ることにする。うん、やっぱりこうなってしまったのは、自尊心と羞恥心、そして怠惰が原因なんだろうな。いつからこんなに取りこぼしてしまったんだろう。本当に。

本当

本当

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魔法かけて

 本がそっと、紙の衣装をまとう。ぱりっとしているけれど大分ゆとりがありそうだ。お金を払いお釣りを受け取って、静かに本屋さんを出る。雨上がりのコンクリートを乾かす冷たい風が吹く。夕方だからお腹も空きはじめた。早く家に帰ってご飯を炊かなくちゃ。そう思って自転車を漕いだ。もうすぐ、魔法にかかる。

 古本屋で買えばいいのにわざわざ新品を選ぶのは、こうやって本を紙で包んでくれるからだ。ビニールの袋じゃなんだか情緒が出ない。そしてそこから取り出して、本を捲る。それは手垢もついてないし、鉛筆の線なんか入ってない。誰かの家の鼻を衝く臭いも染みついていない。今日買ったのは志村貴子さん(『放浪息子』のアニメが大好き)の『淡島百景』の一巻と、桐野夏生さんの『抱く女』。授業のあれこれで本を読めていないなあと思って、つい買ってみたくなったわけです。

 本と向き合う時間、傍目で見ると静かなのにその人の頭の中では世界が渦を巻いている。ページ数の多い小説は読むのに体力がかかるけど、そうやって違う世界へハッキングするのは普通に生きていると味わえないことだ。

 今のところ『淡島百景』の方しか読めていないけれど、かなり時代や群像が交差する作品みたいだ。舞台に立つことを夢見る少女たちのお話で、友情や失恋、言葉にできない感情が生々しく伝わってくる。そして物語を一通り読んで、もう一回絵をじっくり見ながら読み返す。途中、登場人物の一人が人生と舞台を重ね、「いっそ降りてしまいたい」と口にするシーンがある。演劇なんてしたことないけれど「舞台からさっと飛び降りたい気持ち」にスポットライトが当たる。

 僕はフィクションという魔法にかかって、彼女たちの様々な経験にダイビングする。鋭くチクチクしたり、舌のうえで甘い思いが広がったりする。例えそれが「現実逃避」でも、有限な魔法は現実に作用してくれる。しばらくだらだらしていい春休み、いろんな魔法に身をくぐらせようと思う。するりと。

ミューズ

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春と一緒に

 雨が降った次の日の、雲一つない清らかな快晴が好きだ。ずいぶん空が高いなあと思って見上げたら、青い色ばかりがどこまでも続いている。自転車を漕いでみると、木々の隙間から日がさして、風が追い出されてくる。自然と気持ちいい気持ちになって、洗濯をするのも億劫じゃない。鼻歌も繰り出されるぐらいに。

 だけど今日は雨がぽつぽつと降り、空がどんより濁っていた。お昼過ぎに仄かな頭痛と一緒に目が覚めて、レンタルしていたCDを返却しなきゃいけないことに気づく。喉が渇いていたからとりあえずコップ一杯の水を飲んで、テレビをぼーっと眺める。冷蔵庫のなかが空だから、夕飯の用意も買ってこなきゃ。そういえばこの間傘が壊れたから、濡れてもいい恰好に着替える。跳ねまくった髪形を直すのが面倒で、帽子を被って出かける。

 やらなきゃいけないことが重なって鬱蒼としている今はどこか冬に似ている。雨が降る冬の日。レポートの文字数が埋まらなくて時計の針ばかり進む。お腹もぼんやり空く。気分は、ムーミンに出てくるスナフキンだ。ムーミン一家が冬眠している間、彼は一人旅に出かける。様々な困難も一人で乗り越えるし、食事の準備も自分で済ます。なんだかそういう時期にある気がする。誰かに頼ることが苦手だから全部自分でなんとかしようとする。自然としんどくなる。でも、確実に春は近い。

 塩のしょっぱさがスイカの甘さを引き立てるように、冬の寒さは春の温もりを抱き上げている。春になると空気まで変わるけれど、僕はそれを待っている。長いトンネルに入ってバスの車内が暗くなり、そこから外に出たときのまぶしい瞬間を。ムーミン村に帰ってきて、冬眠から目覚めたムーミン一家と再会したスナフキンの気持ちを。そうしたものが春と一緒に一斉にやってくるんだ。

 テスト勉強...しなきゃなあ。まだいいかなって思ってるけど、しなきゃなあ。とりあえずご飯作らないと...。スパゲティ...。なんでブログ書いてるんだろう...。書き上げるのに何時間かかったかなあ。...馬鹿だあ。

マカロニ

マカロニ

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すべてを疑いたい夜に

 人間関係が苦手だ。絶対切れないだろうと思っていた関係ほどするするとうまくいかなくなって、足掻こうとするぶん糸が絡まり、全部切らなくちゃいけなくなる。その「上手くいかないとき」が何回か続いて、自分に何か欠陥があるんだ、何か病めいたものがあるんだと思うようになった(ADHDの人の特徴を見る度に、なんか僕っぽいと感じる)。

 去年の夏、帰省したときに母にそういう感じかもしれないと打ち明けた。「気のせいちゃうん?」「そしたら病院行くで?」と言われ、じゃあいいよ...とだけ答えた。そう言われると「いいです」としか返せない。なぜなら、本当にADHDだと診断されたときの心持ちがまだ決まっていないし、逆にADHDじゃなかったら「そうじゃないのに人と喋ったり人と関わるのが下手くそなんだ」と思ってしまうからだ。すごく身勝手な理由だけど、きっぱりと断言されるよりも自分のなかでふわふわさせておいた方がいいような気がした。

 でも本当に気のせいという可能性もある。全然知らない人と何気ない日常会話をするときがあるからだ。また一方で、一週間誰とも喋らない自分も存在している。ときどき大きな闇に飲み込まれて「どうしてこうなった」と間違いを探している。すべては気分次第だろう。そして、一人で別に構わないと思っては、誰にも興味を示されない自分に膝から崩れ落ちる。二つの感情がややこしくて、ほとほと疲れる。ある意味病気だ。

 お酒を飲んでベロベロになるよりも、夜にひとりぼっちにさせられる方が危険かもしれない。自分のいろんな「ダメさ」が暴かれて(これは今もなんだけど)、とりあえずいろんな動画を見て夜を潰して、自分を慰める癖を繰り返して、疲れるのを待つ。日が変わる前に眠るのが滅多になくなったのはそういうのが起因しているんだろう。きっと僕みたいなゾンビは結構いるはずだ。とにかく不安だから夜を引き延ばす。眠る前と目覚める朝は苦手だ。夕方がずっと続いて欲しい。

 最近やることが多いから、どうしても雑な文章になって申し訳ない。忙しければ忙しいほど、自分のことを考えなくていいから楽なんだけど。でもそういう日々の途中でも、自分を疑うことはある。ずっと答えがない疑問文だ。

ぽこぽこと、思考する(13)

・お酒を初めて買った。二十歳になった次の日、買いたいなあと思ってスーパーに出かけた。ビールと梅酒ソーダと、晩御飯の諸々を入れてお会計をした。年齢の確認されるかなあと想定して免許書を出す準備をしていたけど、なんにも聞かれずに済んだ。すごく寛容なスーパーなのか、ただ僕が老け顔なのかは判然としないけど、まあいい。家に帰って缶を開けた。ビールを注いだグラスに口をつけ、少しだけ口に運ぶ。うえ、なんだこれ。思っていた味とは違って幻滅してしまった。

・肉じゃがを作っている間、暇だったので梅酒ソーダの方も開けてみた。一口飲むと、すごく飲みやすい。すらすた飲めるし、おいしい。気づくと空になっていた。肉じゃがもできあがり、しばらくすると顔が真っ赤になった。熱い。内側からじわじわと熱い。これが酔うということなのか。ただ、「誰かに電話をかけてしまうんじゃないか」とか「変なツイートをしてしまうんじゃないか」とかいう変な予測は外れ、ただ顔が赤くなっただけで済んだ。初めてのお酒体験はそんな感じだ。お酒もほどほどにしないとね。

・お風呂の中でお腹の脂肪を触っていたら、パン生地みたいだなあと思えてきた。すると生地をこねている自分がおかしくって、声を出して笑った。うん、もちもちとしている。ふっくらとしたそいつは可愛げがあるが、スタイルのいい人を見るとあんな筋肉が欲しかったなあと思う。だけど普段生活していて筋肉がつくなんて考えられないから、やっぱりジムなんかに通わなくちゃいけないのかなあ。

・この「ぽこぽこと、思考する」は、本当につまらないことを書けるから好きだ。つまらないけど、良ければお付き合いいただけるとありがたい。

※きのこ帝国の「ヴァージン・スーサイド」を久しぶりに聴いたら、やっぱりいい歌だなあと思った。思春期に感じる霧のような曖昧な「死にたい」という気持ちが現れている気がするな。

ヴァージン・スーサイド

ヴァージン・スーサイド

  • きのこ帝国
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ミルク

 夜はまだずいぶん寒いんだと知った。疲労でとろとろになった頭が妙に心地よく、ひんやりした夜風もいい。外から帰ってきた人のかじかんだ手に触れられたようだ。おなかが空いて、スーパーで適当に食べ物をかごに入れる。レジはガラガラで、すんなりと会計を終える。店員同士の会話。大学生数人。たまに通る自動車。

 僕は、暗がりの中にある橙色やひよこ色の明かりから暮らしを見つける。じじじ、...ばちっ。八時を過ぎるともうひと気はない。だから明かりの一つ一つで安らぐし、ローソンから漏れる強烈な光が町と不釣り合いで、可笑しくなってしまう。瞬きをするたびに光がふらふらと揺れ、飛び回る。あなたもきっと田舎のなんでもない道を歩くとわかる。星だって単簡に見つけられる。

 昨夜、やらなきゃいけないことが沢山あるのを(しかも期日は短い!)考えていたら、頭が変に興奮して、あんまり眠れなかった。やらなくちゃいけないことへのプレッシャーを過敏に感じてしまう性が昔からあって、...嫌だ。だって、あれこれやるのに一番大事なのは休養、つまり睡眠だ。じゃあ前もってこつこつ準備しておけよと言われたらそれでもう閉口してしまうけど、夜に突然「あれしなきゃ!」って思い出すことないですか?一度思い出してしまったら、どつぼだ。

 最近はTHE 1975の曲を好んで聴いてる。踊りたくなるから好きだ。ときどき、教室とか道の途中で無性に身体を揺らしたくなる。教卓に上がり踊ったらどんな顔をするか考える。でも恥ずかしいなと思って、誰もいないトイレでちょっと踊る。そうして、ほんの少し自分を回復させる。ダンスホールはそう思わないけど、教室はどこか「踊りたい!」という気分にさせる。じっとするべき場所だからかな。''Sincerity Is Scary''という曲は、ディアンジェロのようなリズムが気持ちいいし、冬の清らかな朝に外に飛び出して聴いたら最高だろうなあ。

 今日みたいなくたくたな日は、レジの店員さんにも「お疲れ様です」と言いたくなる。みなさんお疲れさま(何にもしてない人も)。砂糖たっぷりのホットミルクのような夢を見てほしい。どんな夢だろうね。僕にも分からない。

Sincerity Is Scary

Sincerity Is Scary

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糸を垂らすだけさ

 必ず渡らないといけない信号が、やけに長い。だいたいの人が、車が来ないのを確かめてそれを無視する。さあっと、静かに消えていく。僕はなんとなくぼけっと立って、信号が青に変わるのを待つ。気づくと、曲が一つ終わっている。なんでこんなに長いんだろうと毎回不思議に思うけど、大した意味はないんだろう。この信号は、ただのほほんとしているだけだ。

 ふと、幼い頃家族と釣りに出かけたことを思い出した。せっかちな僕は、垂らした釣り糸を引っ張っては、家族に「そんなすぐに釣れるわけない」と笑われた。釣りはきっと、じっくり待つこと。ぼーっと、ただ糸に神経を乗せて、風に吹かれること。そんなことをまだ知らない僕は、信号を無視して渡る彼らとおんなじだった。でも面白いこともあって、僕の釣り糸にエイが食いついて、糸がぱちんと千切れた。すごいパワーだったなあと今でも思い出す。釣りがまたしたい。別に魚が反応しなくたって、風を読みながら遠くを眺めるだけでいい。ときには地球も釣りながら、一日を無駄にする。

 誰かに反応されるために安い餌をせっせとつけては放流してきたけど、水面はほとんど震えなかった。自分のだめな部分をわざわざ切り売りして人目を引こうとした。魚はまったく違う方向に流れては、僕とよく似た人の釣り針にかかった。なんであっちに行ったんだろうなあと不思議に思いながらずっと何かがかかるのを待っていたけど、そういうのに疲れた。

 ツイッターをやる前の自分はどんなだったろう。大きな黒い渦に飲み込まれるときがあっただろうか。今はもう分からないけれど、たぶん糸を垂らしているだけで十分だった。周りが聴いてなさそうな音楽を聴くのが幸せだったし、周りが知らない本を独りでこっそり読むことで満ち足りた。今はジャズを聴くのがいい心地だ。「あんまり聴いてる人がいないだろ」という酔いしれもあるけど、ゆったりとした余白の多さがいい。焦る必要も、眼を真っ赤にする必要もない。

 季節がまた一回りして、そろそろ二十歳になろうとしてる。その日に何をしようか、じっくり考えている。好きなお店でお酒を頼もうか、いや帰りはどうするつもりだ。じゃあいい肉でも買ってステーキにしようか。なんだかそれも淋しいなあ。とりあえず、そういうのをぐるぐる考えながら暮らす。今年もまた一人きりの誕生日だ。

Unhappy Birthday

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