魔法かけて

 本がそっと、紙の衣装をまとう。ぱりっとしているけれど大分ゆとりがありそうだ。お金を払いお釣りを受け取って、静かに本屋さんを出る。雨上がりのコンクリートを乾かす冷たい風が吹く。夕方だからお腹も空きはじめた。早く家に帰ってご飯を炊かなくちゃ。そう思って自転車を漕いだ。もうすぐ、魔法にかかる。

 古本屋で買えばいいのにわざわざ新品を選ぶのは、こうやって本を紙で包んでくれるからだ。ビニールの袋じゃなんだか情緒が出ない。そしてそこから取り出して、本を捲る。それは手垢もついてないし、鉛筆の線なんか入ってない。誰かの家の鼻を衝く臭いも染みついていない。今日買ったのは志村貴子さん(『放浪息子』のアニメが大好き)の『淡島百景』の一巻と、桐野夏生さんの『抱く女』。授業のあれこれで本を読めていないなあと思って、つい買ってみたくなったわけです。

 本と向き合う時間、傍目で見ると静かなのにその人の頭の中では世界が渦を巻いている。ページ数の多い小説は読むのに体力がかかるけど、そうやって違う世界へハッキングするのは普通に生きていると味わえないことだ。

 今のところ『淡島百景』の方しか読めていないけれど、かなり時代や群像が交差する作品みたいだ。舞台に立つことを夢見る少女たちのお話で、友情や失恋、言葉にできない感情が生々しく伝わってくる。そして物語を一通り読んで、もう一回絵をじっくり見ながら読み返す。途中、登場人物の一人が人生と舞台を重ね、「いっそ降りてしまいたい」と口にするシーンがある。演劇なんてしたことないけれど「舞台からさっと飛び降りたい気持ち」にスポットライトが当たる。

 僕はフィクションという魔法にかかって、彼女たちの様々な経験にダイビングする。鋭くチクチクしたり、舌のうえで甘い思いが広がったりする。例えそれが「現実逃避」でも、有限な魔法は現実に作用してくれる。しばらくだらだらしていい春休み、いろんな魔法に身をくぐらせようと思う。するりと。

ミューズ

ミューズ

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