NIGHT SCRAPS

今 https://note.com/star_gazer_

あまくていい

 歳をとるとそれなりにいいことがある。例えば、ずっと恥ずかしくて履けなかった半ズボンも途端に何とも思わなくなる。多分、小学生のときにすりむいて膝にできた傷を見せるのに抵抗があったんだろう。今はもう普通に履いて外に出ることができるし、結構気に入っている。それは勇気というより諦めに近い。誰も気にしてないでしょ、という真っ当な気づきでもある。

 だからついつい甘いものも食べちゃう。もともと着やせする体型だから、少しばかりお腹が出ててもいいや、って食べちゃう。ほんのり甘いコーヒーを飲んで、また食べる。ふとしたとき(お風呂のときとか寝る前とか)にお腹やおっぱいを揉んでたのしんで、ちょっと痩せなきゃと省みる。まあでも、微糖のコーヒーでかなり譲歩していると思うんだけど。

 見られている意識って、ある程度の人が持っている気がする。他人から見られた自分。自分が他人を見て何か思うように、他人も自分を見て何か感じているんじゃないか、という意識。でもそこから解き放たれて(またはどうでもよくなって)みるとすごく気楽な世界が広がっている。世の中の「おばちゃん」が生き生きしてるのって、どう見られたって構わへん!みたいな強さが関係してる気がするんだけど、どうなんだろう。あの解脱した感じは見ていて気持ちいいし、羨ましい。

 今日はスーパーに買い物に行って料理を作って、ベッドで今月号のPOPEYEを読みながらだらだらして終わった。休日って本当あっという間に終わる。まあ、お昼までぐっすり寝てたら呆気なくて当然か。今日はうだるような暑い日だった。スーパーからの帰り道、鳩を見かけた。コンクリートの道をせわしなく移動していて、鳩の足の裏を心配した。部屋に戻ると壁に小さな蜘蛛がいた。ほっときながらじっと眺めていたら、なんだか可愛い気がしてきた。彼も安心しているみたいにじっと落ち着いていた。外敵もいないしね。

 だらだらとした生活が性に合っているのは、自分の甘さが美味しいからだ。辛さがちょうどいい人も、苦さが好きな人もいるだろう。僕の舌は甘さを欲している。ああ、今はクレープが食べてみたいな。イチゴとクリーム、そいつらを包む生地。少しくらい太ったって知るもんか。なんならこのお腹をむにむにさせてやってもいい。むにむに、むにむに。

sweets parade -TV Size Version -(妖狐×僕SS 5)

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ろくでもなく僕ひとりで

 冷蔵庫が壊れたり低気圧で頭が痛かったり、考えれば考えるほど嫌なことばかり浮かんだり、散々な日々がつづいた。ベッドは僕の寝汗や涙、涎を染みこんで、消臭剤をかけないとダメになってしまった。それでも頭がずんずんと痺れるから、いろんな課題とか忘れてただ眠った。朝には、体内の毒素がだいぶ抜けきったみたいだった。

 世界がぐんと狭く感じられたときは、レイモンド・カーヴァーの詩集を捲る。‘‘長いあいだずっと僕は、もし選ぶことができたなら、いつも自堕落なほうの道を選んできた。あるいはただ、単に、簡単なほうの道を。高潔な道じゃなくて。困難な道じゃなくて’’(「ろくでもなく僕ひとりで」、『ウルトラマリン』より)。こういう言葉がぽんと置かれて、かなり落ち着く。この詩はもう少し長いけど、特にこの部分が好きだ。カーヴァーは時々こうやって、あっけらかんと語ってしまう。「ぶらぶらして暮らしたい」とか「だらだら」とか、題名からして最高。背筋がしゃんと伸びているときにこんなこと言われたら、もとの猫背に戻っちゃう。

 柔らかい日差しが布のように大きく揺れる午後。あちこちでまぶしい緑が踊っていた。僕は、大学のベンチで興味のある分厚い本を読んでいた。その横を人々が通り過ぎていく。あの人はもしかしたら過激な右派かもしれない。あの男の人はノンセクシャルで、彼女は厳格なベジタリアンかも。そんな可能性を膨らませてみると結構面白い。膨らませたからと言って何かが起こるわけではないけど、何も起こらないから楽しいことだってあるのだ。

 今日はスーパーで助六寿司を買って食べた。豆大福も。もちもちを口の中で咀嚼しながら、幸せだとささやかながら思った。美しい言葉を招き入れ、難しいことを考え、それらを全部美味しいごはんと一緒に呑み込む。晴れていれば草木が笑っている。雨が降れば銀色の町が泣いている。ただそれだけのこと。他のことはだいたいおまけだ。疲れた日にはカーヴァーの詩集を適当に開いて、でてきた詩を黙々と読めばいい。

 冷蔵庫が故障した日、仕方なく喫茶店でお昼を済ませた。ピザトーストを食べ、アイスカフェオレを飲んだ。隅っこの席で、『フットボールの社会史』という本を読みながら時間を過ごした。面白いですよ、この本。つい買っちゃった。こういう滋養にあふれた空間はそうそうないって分かってるから、ときどきこうやって訪れなきゃ。

Bonny

Bonny

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まとめ(9)

1.夜も昼も

ウルフの『自分ひとりの部屋』を読んだ感想。今になっても、男の僕が女性の問題について考えるとき、難しさや矛盾をいつも抱えています。それはたぶん、他人との関係でいつも上がってくる問題ではないでしょうか。

2.まだまだ僕は若いから

父の言葉に救われるのは、齢60を超えた人間のそれだからか、肉親のものだからかは分からない。「生きとったら食っていける」という最近の言葉も、なんの確証もないのにそうなのかなあと感じさせる強さがあって、恐ろしい。

3.安心な僕らは

この日は長時間のバス旅で疲れ果てていたのですが、疲労が溜まったときに限って、なぜか女の子とお遊びしたいなあという気分になる。ただ「ヤリたい」という直接的な表現はよそうと思い、いろいろ想像を膨らませました。「果実の皮を剥くように服を脱がす」という部分をお褒めいただいて、嬉しい限りです。

4.疲れたあなたへ

本当は「疲れるね、ぐっすり休もうか」というオチにする予定が、「僕らが疲れ果てて思考停止している間に流れていく大事なものがあるんじゃないか?見逃してはいけない!」とずいぶんカゲキなものになりました。暑苦しい、カロリー高い。

5.モリッシーとサッチャリズム

ゼミでモリッシーについて調べることができて、とても幸せでした。自分が趣味で聴いていた歌詞から、サッチャー政権下のイギリス(特に労働者階級について)へ繋がっていったことにゾクゾクしました。権力に対してときに攻撃的に、ときにユーモアを持って反抗してきたモリッシーの言葉は、グサッと刺さります。(今現在もいろいろと揉めているけれど)

6.猫のさみしさ

猫について。猫、可愛い。もふもふ、可愛い。以上。

7.ぬれた靴

梅雨の時期は雨でうんざりするし湿気でものすごく暑くてしんどいし、いいところがまるで見つかりません。この季節が好きな方はかなり珍しい気がします。梅雨の楽しみ方、どなたか教えて下さりませんか?それはさておき、この文章からぼんやりとした倦怠感とかため息といったものを感じていただければ幸いです。

8.

いつものようにツイッターを眺めていたら、よく知るフォロワーさんが24日の午後に事故で亡くなったと知りました。僕はここで初めて、自分がその方と同い年だったことに気づきました。あまりにも早い死に驚き、その方が描かれた絵や投稿されたツイート、そして参加される予定だったイベントの情報を見ながら涙が止まりませんでした。心のどこかでお会いしたいなあと思っていた魅力的な方。優しさあふれる絵には、まだ体温が残っているような気がしました。その方の死について考えていると、自然と自分の「生」を思わざるを得ず、まだ頭の中できらきら光る記憶を残そうと半ば衝動的に書きあげました。

9.波光

この文章も、フォロワーさんの死がかなり関係しています。その方からすれば、お前誰だよと言われかねないのですが。「富」を書いたあとちょっと精神的に疲れ切ってしまい、どうしようもない夜が続いています。この文章には現実と夢が交互に出てきますが、ある意味「生と死」だし、「現実と理想」でもあります。その方の死が一日一日と薄れていくことへの恐れとか、一方でその方にまた今日も近づいているんだという事実とか、ぐちゃぐちゃとした混沌をきれいな形にまとめたいと思い、スピッツを聴きながら書きました。

ぽこぽこと、思考する(17)

・モラトリアムを終えようとしている人間の戯言として聞いて欲しいです。社会というものを批評するのはずいぶん難しい。例えば僕が、インターンシップなんてやめようとか、みんなスーツを着ないとダメだなんておかしいとか言ったところで、「それはお前の甘えだ」と言われればそれで全部片付いてしまう。「みんな」がどこかで疑問に思っていること(そして強要されていること)も、「みんな」がしているから従わないといけなくなる。

 このことはいろんなことに言える気がする。例を挙げれば、先生という職業が大変になっている状況もおおよそ無視されている。クラスの担任教諭は約四十人のことを意識しながら自分が担当している教科についても考え、かつ部活の顧問をしている場合そちらにも気を配り、病欠している生徒がいれば保護者と連絡を取る。いじめが起これば生徒たちに話を聞かなければいけない。どんどんと膨らむ仕事、それらはすべて子供たちへの思いやりや善意といったものがベースになっている。「先生ならこれぐらいできて当然」「子供たちのために」。そういう言葉を投げかけられると、断る理由が見つからない。ただ、心血注いで働いても、不祥事やミスばかり光を当てられる。

・「この人はこうあるべき」という価値観をゆるりと変えるのは結構難しい。「記号」に収まって自分を殺していくのは楽かもしれないし、「普通」になれない人を馬鹿にするのはかなり気持ちいいに違いない。そうだそうだ、人を殺すのはゲームオタクで漫画狂いの「私たち」とは違う人種なんだ。ああ、「私たち」の豊かさを貧しいクニの子供たちに分け与えたい(そしてあなたは中古のブランド品を身にまとう)。そう思えたら世界は狭く美しいものになる。こう皮肉る僕もまた、狭い世界に生きている人間だ。誰かのことを無責任に責めているわけだから。ただ、息苦しくなる状況の中で、なぜその元凶が責められないのか(元凶ってあれです。 犯人とかひきこもりとか、そんなんじゃないです)。

・世間というものを調べたときに、「個人は必要ない」や「排他性がある」といった特徴が出てきて、たしかにそうかもしれないと思った。個性なんて大事じゃなくて、「どこの出身でどういう家庭に育ったのか、そしてどの学校を出たのか」みたいな履歴の方が何倍も重要。その中に「普通」と異なる部分があると、眉は歪み、ぱちんと個人をはじく。

・ここから先は完全に僕の妄想だから、気をつけて。あらゆる心の症状に名前をつけて病人を生み出すことが流行っているけど、あれは単に健常者とそれ以外をふるいにかけているだけなんじゃないか。というより、いろんな人が精神を砕かれ燃え尽きている状況がたくさん起こっているという構図を批判すべきじゃないか。なぜそれが起こっているのか。ただの甘え?弱さ?それとも資本主義の末路なのか?さあ、薬を噛もう。エナジードリンクを飲もう。

波光

 冷房の風があんまり冷たいから(でも起き上って止めようという気にはなれない)、僕の肌は生きているのか死んでいるのか分からなくなる。まだ眠りにつくには頭がふつうじゃない。そこで僕は疲れようといろんな策を講じるけれど、ただ気休めの悦びと大きな虚無感を連れて来るだけだ。冷たい風の中で、皮膚が汗ばむ。星がいくつか消えて、月の光なのか朝日なのか、部屋がだんだん薄明かりに包まれる。だけど安心だ。やっと夢の中に落ちて、いろんな苦しみがほどけていく。

・曇り空の下、海へ出かけたい。君の手を取って、スポンジのような砂地を駆けていくのだ。ときどき乱暴な風が吹く。白い波が這ってきて、僕らの足を舐めていく。でも二人はそういう不愉快さも笑いとばしてしまう。白いシャツが濡れてビニールみたいになっても、全然気にせずに、何の合図もなく抱擁を交わす。

 目が覚めた。まだまだ眠れそうな気がするけど、僕は勇気を振りしぼって朝ご飯を食べ、シャワーを浴びる。カバンを担いで雨の中を歩いていく。うざったい湿気が首筋に絡みついてくる。テストや講義や課題なんか面倒くさいけれど、他のことを考えなくていいから楽だったりする。チャイムが鳴って、静かに教室を出る。雨がやんでいて、ぬるいような涼しいようなあやふやな風の中、濡れたコンクリートの道を踏んで家まで帰った。そして今、深夜だ。朝の光で隠されていたいろんなことが夜の静けさに暴かれて、混乱している。さあ、薄い布団に包まって目をつむるのだ...。

・君は絵を描いている。音楽がガンガン鳴っていて、僕はスマホを触ったり本を捲ったりしている。優しさと温もりのある君の絵に「いいね」して、僕は洗濯したシャツを干しにベランダに出る。ふと顔を上げると月の光がほのかに町に降っているのが見える。僕らがだべっている間にいくつかの星が砕け、滅んだ。シャツに鼻を寄せて洗剤の匂いを確かめる。部屋に戻ると君は出かけていて、ソファに君の体温と、あの素晴らしい絵だけが残っている。僕は涙を食べる。そうしてまた君を忘れていく。

五千光年の夢

五千光年の夢

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 あの子と帰った道を覚えている。本当はさっさと帰って勉強しなきゃいけないのに、あえて遠回りしたその道を。風がなびく橋の上、ぐっと下る坂の途中。思い返すと一瞬のことだ。だけどこのテープを頭の中で何回再生しただろう。誰もいないことを確かめて手を握ったり唇を合わせたり、神さまから逃避していたころ。季節も温度もぐちゃぐちゃだし、あの子の声さえ思い出せない。僕のなかで、当時の記憶は日なたのように今もやさしい。

 帰省したって、もうあの橋を渡ることも、コンビニで君を待つこともない。君の住む町がぜんぜん違うものになったって気がつかないかもしれない。もし知ったとしてもむしろそれを有難く感じるかもしれない。だけど、僕が故郷を離れるときに君の町を通り過ぎた、そのときの感触は永遠に忘れない。よく知る風景が後部座席から見えて、そして遠ざかっていく切なさ。君がたしかにそこにいるんだと分かっているのに挨拶も抱擁もできないんだという事実に対する悲しさ。このときの僕は、君が昨夜からずっと眠らずにいたなんて知らなかった。知って、より一層苦しくなった。

 それからのことは、これを読んでいる人の想像に任せる。でも、ありふれた別れだと今では思う。「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まっていく」と誰かが歌っているけど、なかなか難しいんだなと知った。僕と彼女は、あの町であの季節に知り合ったから、肌を重ね合えたんだと思う。ちょっとした魔法だ。少しばかり頭がおかしくなる魔法。当時の(いやひょっとすると今も)僕の幼稚さや醜さは、すぐに思い出せる。自分の身の丈を知る前の愚かさだ。

 だけどこの季節は、誰にも奪えない。自転車置き場にこだました二人だけの会話、倫理の時間が終わって二人で教室を出た午後、あの子がくれた金平糖の味。いつも、というわけじゃない。何かのきっかけで、情けなくずるずると巻き戻されてしまう。あの子よりも、こんな季節の方がずっと愛おしいのかもしれない。でもこのときの鈍色の輝きは、僕のなかを巡る赤い血と同じぐらい鮮やかなのだ。春が過ぎて、初めてキスをした初夏がやってくるたび、悲しく光っている。

ありあまる富

ありあまる富

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深夜、胎動

 初めて訪れる街というのは、慣れるまで奇妙に映る。スマホを見て、不安に脅されながらバスに乗る。ああ、ライブ会場に行くまではなんとか順調そうだ。どんどん人が乗り込んできて破裂しそうになるけど、この行き先が合っているんだという安心も高まる。会場近くに止まると、昆虫とか魚類が卵を産み付けるみたいに、大勢の人がバスから吐き出ていった。僕もその一つ。降りると雨が服を濡らした。

 ライブが終わり、熱狂に浮かされたまま外に出る。時間はもう午後9時近く。夜の街に人の洪水が広がって、ずいぶんおっかない風景が広がっていた。仕方なくというか、その波に浮浪しながらしばらく当てもなく歩いた。傘と傘がぶつかって雫が跳ねたり、水溜まりを避けようにも避けられなかったり、さっきの熱狂が夢のように遠くなった。どうやって帰ろう。この人波がどこに向かっているのかも分からないのに。スマホの充電も残り少ない。ホテルのチェックイン時刻だって近づいている。

 幸いなことに、彼らは地下鉄に向かっていた。二十歳にして初めて乗る地下鉄。人を押しのけて券を買い、ひとより先に乗り込んだ。座る場所が無くて壁にそっともたれかかると、どんどん身動きができなくなった。ドアが閉まり、地下鉄が動き始めた。本当に動いているのだろうか。ただ暗闇の中でがたがたと揺れる感覚しかない。まるで産まれようとする胎児の気分だ(まあ、そんなの忘れているけれど)。僕らがいまどの辺りにいるのかは、停車するまで明かされない。出ることなど許されない。

 都会の土の下には今日もたくさんの胎児がいて、街の皮膚の裏をドクドクと流れている。不思議な感じだ。からっぽの暗闇の中で、みんな何を考えているのだろう。ぼんやりした明かりに照らされた自分を見て。あんだけたくさんのヒトに埋もれて、嫌気がさしたりしながらそれでも続いていく営み。街という母体は、毎日毎日暮らしを産んでいる。毒素やアンモニアなんかを処理しながら、一つ一つの細胞に栄養を与えながら。

 ヒトから吐き出て、つまらないホームを去って、エレベーターで地上に出た。怪しいムードの道をそそくさと歩いてホテルに入る。すべての疲れをベッドに預け、ふとカーテンを開けてみる。そこには夜景なんてものはなかった。あの真っ黒な平面が現れただけだった。まあ、いいや。僕はズボンを脱いでいやらしいことをして眠った。

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