NIGHT SCRAPS

life, solitude, words

 あの子と帰った道を覚えている。本当はさっさと帰って勉強しなきゃいけないのに、あえて遠回りしたその道を。風がなびく橋の上、ぐっと下る坂の途中。思い返すと一瞬のことだ。だけどこのテープを頭の中で何回再生しただろう。誰もいないことを確かめて手を握ったり唇を合わせたり、神さまから逃避していたころ。季節も温度もぐちゃぐちゃだし、あの子の声さえ思い出せない。僕のなかで、当時の記憶は日なたのように今もやさしい。

 帰省したって、もうあの橋を渡ることも、コンビニで君を待つこともない。君の住む町がぜんぜん違うものになったって気がつかないかもしれない。もし知ったとしてもむしろそれを有難く感じるかもしれない。だけど、僕が故郷を離れるときに君の町を通り過ぎた、そのときの感触は永遠に忘れない。よく知る風景が後部座席から見えて、そして遠ざかっていく切なさ。君がたしかにそこにいるんだと分かっているのに挨拶も抱擁もできないんだという事実に対する悲しさ。このときの僕は、君が昨夜からずっと眠らずにいたなんて知らなかった。知って、より一層苦しくなった。

 それからのことは、これを読んでいる人の想像に任せる。でも、ありふれた別れだと今では思う。「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まっていく」と誰かが歌っているけど、なかなか難しいんだなと知った。僕と彼女は、あの町であの季節に知り合ったから、肌を重ね合えたんだと思う。ちょっとした魔法だ。少しばかり頭がおかしくなる魔法。当時の(いやひょっとすると今も)僕の幼稚さや醜さは、すぐに思い出せる。自分の身の丈を知る前の愚かさだ。

 だけどこの季節は、誰にも奪えない。自転車置き場にこだました二人だけの会話、倫理の時間が終わって二人で教室を出た午後、あの子がくれた金平糖の味。いつも、というわけじゃない。何かのきっかけで、情けなくずるずると巻き戻されてしまう。あの子よりも、こんな季節の方がずっと愛おしいのかもしれない。でもこのときの鈍色の輝きは、僕のなかを巡る赤い血と同じぐらい鮮やかなのだ。春が過ぎて、初めてキスをした初夏がやってくるたび、悲しく光っている。

ありあまる富

ありあまる富

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