猫にならう

 甘い声がする。夜、みんなが寝静まった頃に外の方から聞こえてくる。ベランダに出て覗いてみたって多分なにも分かりはしない。かと言ってこんな時間に、甘い声の主を探すためだけに外へ出るのもなんだか恥ずかしい。だらしない恰好で明かり片手にうろうろしているところを、同じく明かり片手の誰かさんに見つかったらお互い気まずいし。そんなことを思いながら、布団に身体を預ける。眠りにつこうとする間、ずっと心を撫でるようなさみしげな声がしていた。ごめんよ、仔猫さん。

 朝になって目覚めても、あの声がした。ベランダから顔を出して小さな獣の姿を探してみるものの、見つからない。ただ空の猫缶が一つあるだけだ(愛とお節介の象徴)。ここにいて誰かの寵愛を受けるのもいいし、どこか別の場所へ移るのもいいし、君の勝手にすればいいと思いながら大学へ向かった。ここに来られたのだから新しい場所にだって行けるだろ、と。

 猫はときどき、悟ったように僕らに話しかける。でもこちらは何を言っているのか分からないから、仕方なくもふもふしたからだに触れる。人間はいつ猫のことばを忘れてしまったんだろうなんて考える。ずっとずっと昔の時代には、きっとみんな猫のことばも理解できたんじゃなかろうか。まあでも、無理もない。言葉は意外とむつかしい。皮肉とか嫌味とか、言葉の裏を読みとかないといけない表現があるくらいだから。そういう風に言葉を磨いていったら、猫のことばなんて忘れてしまうはずだ。

 言葉なんてただの音の連なりだけど、決して軽いものじゃない。いい人と出会って、仲良くなりたいな(あわよくば恋仲になりたいな)と思っても、いろいろ考えて言葉を飲み込んでしまう。恋愛ドラマでよく繰り広げられる下らない問答だ。言ってしまえ言ってしまえ、と心の誰かが叫んでも、次の朝には「言わなくてよかった」とホッとする自分もいて...。本当はあの猫みたいに、情けない炎をさらけ出したい。うん、あの猫みたいに。退屈な夜、虫の音だけが辺りにあふれている。あの仔の声はしない。微かに痛む頭を枕にのせて、ほんの少しだけ誰かのことを想う。ここに来られたのだから新しい場所にだって行けるだろ。