ライラックの子

 君から「大丈夫?」と聞かれ、苦しくなった。本当ならもう人間にならないといけない頃合いだけど、中途半端な動物のまま、思い出を見ていた。カビ臭い風を吸いこんで町へ出る。得意のまじないで自分を偽って、知らない人の隙間を縫った。苦しい夜ばかりで誰でもいいからそばにいてほしかったけれど、誰かに選ばれるような自分じゃないことも知っていた。新しい知識とか、やさしい嘘とか、そういうものは黄昏のようにやさしく感じられた。大丈夫? 大丈夫だよ。

 最初はただの距離間の遠さだったのに、やがてそれが心にまで及んでしまった。君がさみしいうちは僕も君にすがっていられたけど、だんだんそういうわけにもいかなくなって、話す機会も少しずつ減っていった。僕は思い出の中の君を求めていた。君は新しい町で変わっていった。そして、かつての二人なら抱かなかったような感情も覚えはじめて、それはある日突然決定的なものになった。絡み合った糸は解けなければもう切るしかない。気づいたときには、僕はもう君と連絡を取るすべを失っていた。

 さよならの効力をしばらく味わいつつ、人間になろうと季節を生きた。朝日のような微笑や、真昼の空みたいな人に惹かれたりした。夕暮れ、お風呂に浸かりながら思い出を繰り返し拾った。うんざりする人波をビート板で泳ぎ、むつかしい話を聞いて生きる希望を見出した。世の中に対して静かに中指を立てながら。

 君に付着していた恋しさや懐かしさは、時の風に運ばれて消えていった。「ありがとう」も「くそったれ」も褪せてしまった。それでも、懸命に手を振りつづけたあの友愛は存在している。いつしか会えなくなると分かっていながらも強く再会をねがう無邪気な心。落雷を受けた樹木からまた新芽が顔を出すように、身体の底から湧き立ちはじめる。痺れるほど振った手を下ろして歩んだ先できっとそれが起こる。あふれる気持ちに我慢できなくなったら形を変えて会いに行こう。大丈夫、自分が大丈夫じゃないってちゃんとわかってる。