可愛いね

 ごめんなさい。周りから浮いている人を見ると嬉しくなる。ちょっとした宝石を発見したような気持ちになってしまう。普通の定義はいろいろあるにしても、普通じゃないオーラはあちこちで香っていて、その色がするたびに心が躍る。本人が気づいていても気づいていなくてもどちらでも構わない。桃の果実の中にある大きな種のような、誇らしい歪さを保ちつづけてほしいと勝手に思う。

 小学生の頃に、ハートマークが好きな男の子がいた。今になってみると別段なにも思わないけれど、幼い僕は強い違和感に襲われた。「変わっている」という乱暴な言葉に頼った。どうして彼はハートが好きだったのか、理由は謎のままだ。本人に何か言ったわけじゃないけど、そのことを思い出すと申し訳ない気分になる。周りと違うからというだけで誰かをちょっと排外する罪な心。今もどこかに棲みついているのだろうか。透明な闇の中で考えている途中だ。

 どういう風に生きるべきだとか、他人に押し付けるほど長く生きていないけれど、できるだけいろんな違いを受け容れていたい。いい匂いがする手紙につらつらと書き連ね、便箋に入れてハートマークのシールを張り付けよう。例えて言うなら、緑の海原に浮かぶ彼岸花の艶やかな赤色。可愛い人の腕に見つけた小さな肌荒れ。日の光にさらすようなことはしない。カーテンを閉め切った部屋の中、ひそひそ声で褒めそやす。もしもそれが全部うそになってしまったとしても、笑って水に流そう。そのとき僕が可愛いと思ったことに変わりはないのだから。

 今までの言葉は自分を肯定するための口実かも知れない。こんなこと言っておいて、他人のすべてを受け容れることができるのか分からない。ただ今は、普通のオーラのする方へ誘われていたい。周りから見れば尖っているような部分でも、辿っていけば柔らかい砂地に行き着いたりするのだ。自分と違う人と話してみると「合わないなあ」と思うこともあるけれど、その一方で退屈しない。英語の歌を口ずさむように、南国のフルーツを齧るように、いろんな人を可愛く思えたら...。