やがて冬が

   夜がだんだん早く来る。この窓から見える山の色も、近いうちに移ろいゆくはず。人々が身にまとうものも変化しはじめて、または新しい季節へ歩みだす。次の月へ、次の年へ。そして切ない鐘の音が鳴る。何も変わらぬまま、しかし沢山のことが変わってしまったまま。

   人は何でも想定する。この事業はどれくらい成功が見込めそうか、この人と結婚して自分は幸せになれそうか、地震が来たときにどこへ避難すれば安全そうか。人は想像し、計算して、予測を立てて物事に対処する。それによって危機を脱したり、あるいは臆病になったりする。農家の息子は自分が百歳まで生きることを考え、畑を置いて街へ出る。そういうこともあるかも知れない。これを読みながら、あなたも考える。果たしてこの文章は面白いのだろうか、と。

   親を見て、大人たちを見て、僕は将来の自分を想定する。例えば髪が薄くなり、腹が出て、情けなくなった姿。どんな仕事を就いているかは分からない。一日中清掃をしている可能性だってある。大きくなっていく過去と夜毎減っていく未来。雑巾をしぼりながら洗面台に向かって何か嘔吐したくなる。酒だけが自分に優しくしてくれる夜。同世代の人とすれ違うたびに、自分がどの分岐点で間違えたのか途方に暮れる。冬。次の季節に何を残せるだろうか。そうして掌を自分の息で暖める。

   もちろん嫌なことばかりじゃないだろう。素敵な人と出会って、その人とおいしいものを食べ、安らぎと快楽を感じ合う。そんな輝かしい夏の日がいつか来るはず。まぶしい太陽とひどい雨風を受けて果実はますます甘みを増していくのだから。今はただ冬を恐れるしかない。イソップ物語に出てきたアリのように、せっせと働いて厳しい冬に備えるのだ。ときどきキリギリスのように堕落しながら。やがて来る冬を受け入れよう。家の中へ招いて、一緒にそばでも食べよう。そして鐘の音で、なにもかも忘れてしまうのだ。

私のフランソワーズ

私のフランソワーズ