沈黙は優しい

   虫の音が気持ちいい。秋の予感がする。明るいような、さみしいような音色。夜になっても、町のどこかで生活の音がすると安心する。いろんな音、涼しい風が網戸から入りこんできて、僕の耳や素足に絡みつく。甘くふくらんだ夜の空気。僕はあくびをする。もう後は布団に入って大人しく瞳を閉じるだけだ。

   四六時中ってわけじゃないけれど、ときどき君を思い出して電話がしたいなあと思う(お風呂に浸かっているときや歯磨きしているときなんかに思う)。特に話したいことはないはずだ。それでも長引く沈黙を畏れて、訳の分からないことを喋ってしまう気がする。君の方は黙っていても平気だと言った。沈黙を延期するのはだいたい僕の方だ。もちろん、二人の間で静寂を共有しているのも悪くはない。今ならきっと、君の耳元で虫の音がしているはずだ(リンリンリン)。

   沈黙はかなり重苦しい。でも同じくらい優しい。何も言葉を交わさなくても満たされる関係。その素晴らしさに出会えることは滅多にない。いろんなコミュニケーションを払い除けて、閉口したまま横になる。僕が話題もないのに電話をかけたいのは、君と黙り合うためかも知れない。ただ、お互いの生活音を何時間も聞いていたら、きっと可笑しさで吹き出してしまう。だけどそんな関係を僕は愛でてみたい。

   また町に戻れば、近所の喫茶店に行くだろう。メニューを注文するとき以外、ほとんど喋らず、コーヒーを啜って本を読む。大きな孤独が向かいの席に腰を下ろす。やがてジャズのレコードが止まって、しんと静かになる。別のレコードが回りだす。僕はこの至福を口にせず、顔にも出さない。でも何となく伝わっていればいいなと思う。こここそが孤独な人間の安らげる最適な場所だと。そろそろホットコーヒーの季節になる。

Drip

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