ひとり再考

 他人からどう思われているのか気にしてしまう。自分への自信が足りないからか、それとも不安感が強いからかは分からないけど、人の視線で自分の行動を律している。今日も個人が経営している喫茶店に行って、ずうっと落ち着かなかった。「なんでサンドイッチなのにフォークが付いてくるんだろう、使わなくちゃいけないのかな」、「食べ終わったけどまだ本読んでていいんだろうか」...。

 チェーン店が嬉しいのは、多少気を遣わなくても大丈夫な点だ。おそらく顔を覚えられることもないだろうし、いい感じにほっといてくれる。店員さんの態度がある程度悪くたって、僕は気にしない。ずうっと愛想を振りまくのは大変だろうと思うから、不愛想でも「まあそうだよね」で済んでしまう。逆に、ものすごく丁寧に接客されると困惑するのだ。だから、「お客様は神様です」の理念からはかなり逸脱している。

 自分がどうして他人からの視線を気にしているか、考えてみた。僕が思う限り、ごくごく普通にしていれば誰も僕のことなど気にしないし、視界にも入らない。うまく世間に溶け込めば、不特定多数の一部に仲間入りすることができる。でもどれだけみんなと同化したとしても、どこか違うところが一つや二つあるはずだ。集団の中で目立ったり浮いたりすれば、面倒な思いをするに違いない。だから他人の視線に敏感になってしまう。

 勇気ある行動も派手になればなるほど、打たれる釘になってしまう。みんな心のどこかでは「こっちに進んだ方がいいんじゃ...」と思っていながら、わざわざ茨の道を選んでいる。そして違う道を指し示す人たちを魔女のように扱う。そうじゃない場合もあるけど、なんだかこういうニュースが多いように感じる。

 僕の大学には、イケイケかジメジメ、その二つのグループしかないような気がして、どちらでもない僕は窮屈な思いをしている。だからと言って自分に嘘をついてまで馴染もうとするのは結構体力がいるだろう。それだったら外様でいる方が気楽だと、独りでいる。谷川俊太郎さんの『ひとり暮らし』を読みながら、そういう自分を肯定してもらったような気分を味わった。一人で暮らしていける強さと、他人とゆるやかな関係を保っていける力。その二つが欲しい。それがあれば、他人の目なんてそよ風みたいに思えるから。