花と棘

 低気圧が過ぎ去って、温かい天気が来た。冷たい風の中で重ねられた温い手のような、やさしい天気だ。川面に光が跳ね、うっすらと赤らんだ梅の花がふわりと揺れた。古着屋に寄ったりハーフコートをクリーニングに出したり、またいつものように買い物をした。自転車であちこち行くのが久しぶりだったから、ほのかに疲れてしまった。

 近所の八百屋さんが病気を理由にしばらく休んでいる。よく行く喫茶店の店主も旅に出かけてしまった。また違う喫茶店も久しく開いていない。なんだか町の一部がぽっかりと欠けてしまって、元気を失ったみたいだ。多くの学生が故郷へ帰った今では、ときどきシンと静まり返るときがある。信号待ちも一人、くしゃみするも一人。

 引っ越しの準備や新入生の姿を見ると、新しい季節を感じる。「新しい季節は なぜか切ない日々で...」。春の麻薬的な空気の中に、ナイフは潜み隠れている。望んでいた未来の姿をずたずたに破き、人と人の間を繋いでいた糸という糸を無残に切り刻もうとも、ナイフは君の温かな血を狙っている。五月にはもう腐ってしまうかもしれない。逆に、ナイフが数々の不安を日差しの外へ追いやって、代わりに沢山の仲間を連れて来ることだってある。彼らはどちらなんだろうと、すれ違うたびに思う。

 大学になんとか慣れてきたこの頃でも、もうすぐに「卒業」や「シューカツ」が訪れて、新しい環境に右往左往するんだろう。やだなあ。終えるために始まって、始まるために終える。ずうっとその繰り返しだ。季節が渦を巻き、枯れた枝に頬を染めた花が咲き始めるように。

 フリッパーズ・ギターを久しぶりに聴いて、見慣れない街を頼りなく歩いていた頃を思い出した。「さようならパステルズ・バッジ」が流れてくると、風景やそのときの空気まで一緒に浮かび上がる。ナイフで傷ついた痕がヒリヒリ傷んでいるのかもしれない。ナイフでいろいろと引き裂かれてしまった。でもやっぱり、一人っきりで知らない町に住んでいるんだという感覚は力強く、孤独を誤魔化すために覚えたいろんなことは、今にも繋がっている。よく分からず読んだ岡崎京子も、春風のなか口ずさんだ小沢健二も。