ただのやさしさだったのにな

 今季から始まったあるドラマを、毎週欠かさず観ている。主人公の女性は、前の職場が同じだった男性と付き合っている。ここまではとても普通だけど、その彼氏さんが部屋に元カノを住まわせているところで「んん?」となる。次の仕事が決まるまで面倒を見てあげる、と彼氏さんがやさしくしたために、別れたあとも部屋に居座っているというわけだ。

 ツイッターの反応では「邪魔だろ」とか「働けよ」というコメントが見えた。たしかに、彼氏さんが別の女の人と付き合い始めたのにずうずうしく部屋に籠り、ゲームばかりしている姿は情けなく映る。褒められるものではない。でも僕が一番怖いと思ったのは、やさしさだ。ちょっとした親切心や中途半端なやさしさは、首を絞める毛布のようだ。どこかのアニメキャラが「手ぇ出すなら仕舞いまでやれ」と言ったように、一度背負ったものはきちんと蹴りをつけなければならないのだ。

 ついこの間まで、やさしさは母性とか真心のように「いいもの」だと思っていた。だけど今では、「どちらかといえば」という前置きがないとなかなかいいとは言えない。そう考え始めたのは、写真家の幡野広志さんのこの文章を読んでからだ。幡野さんが末期がんを公表して以来、さまざまな「やさしさ」が差し出されている。

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 こうした「やさしさ」に、強い口調で「やめてください」と言うのはむつかしい。払いのけると、「親切心でやっているのに...」と返されるだろう。向こうが無垢に、仏のような顔で訴えているほど、それを払いのけるのは胸が痛む。でも僕らは、そのやさしさに責任まで背負いこむことはできるのだろうか。僕はついつい勝手に同情したり手を差し伸べたがるけれど、その人に最後まで付き添う強さはあるのだろうか。一度繋がれた手は、なかなか離れない。それを離すとき、単に手と手が別れるわけじゃない。

 僕自身、やさしくされたらずうっとそれに甘えたくなってしまう。いや、良くないことは(たぶん)分かっていたし、さっさと自分で立たないとなあとは思っていたけれど、なんとなくずるずる引きずって、その人に本当に迷惑をかけてしまった。やさしさをなんでも一括りにして語ることは少々無理があるのかもしれないけど、生ぬるいやさしさは人も殺せてしまう。ぱっと、手を離すだけで。

 ドラマはまだ始まったばかりだ。主人公の恋愛がこれからどう進展していくのか楽しみだけど、彼氏さんが「やさしさ」とどう決着をつけるのか気になる。風が冷たくなり始めた季節、乾いた自分の掌を自分であたためながら、じっと見守りたい。

手と手

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