自分が一番わからない

 一人暮らしをして一番不安になったのは、自分の臭いが分からないことだ。実家暮らしだと、もし汗臭ければ家族が言ってくれたけど、一人だとそうもいかない。というか、自分の臭いが分からないのってなんでだろう。だから帰省から戻って久しぶりに自分の部屋に帰ると「ああ、こんな匂いだったなあ」と気づく。そして、別に変な匂いじゃないから安心する。

 「あなたが一生見えないのはあなたの背中だ」という言葉がある。まあ、鏡があれば見えるんだけどね。でも実際にこの目で見ようとすると、首が痛くなる。自分にとって一番遠いのが自分自身だというのは、ある意味真理だなあと思う。匂いにしても、常識にしても、それは言える。

 伊坂幸太郎の小説に『砂漠』というのがあって、その冒頭部分、鳥井という男が主人公の北村にこう説明する。「学生ってのは、近視型と鳥瞰型に分類できるんだよ」(p.8)と。つまり、近視型は周りのことなんか見ず目の前しか捉えることができない人、鳥瞰型は飛んでいる鳥のように全体を俯瞰している人、というわけだ。この『砂漠』、伊坂節全開の青春小説なのでぜひ。

 俯瞰するとはむつかしいことだと思う。僕にはよくあることなんだけど、クラスを客観的に見ているようで、実はそのクラスの空気に呑まれていたんだと後で気づくことがある。俯瞰するというのは、ある意味そういったものを避けながらふわりと飛んでいなければならないから大変だ。第一に、俯瞰しているなあと思っているところが本当に「全体」なのか知るのがどうすればいいのかわからない。たとえば「森だなあ」と思っていたところがただの木であるかもしれないし、闇の中では全体を捉えることすらむつかしい。そして「俯瞰」は、その「全体」と「自分」を切り離さなければならないのだ。だから、客観的に物事を見れる人はすごいと思うし、周りの流れに惑わされずに発言できることは、一つの才能じゃないかなあ。

 「自分」の話に戻るけど、自分がどんな人間なのか知るには、他人がどう見ているのか聞くことが重要かもしれない。一人では知れない自分の側面を他の人たちが照らしてくれると分かるだろう。前にどこかで書いたけど、友達に「強がってるけど、ほんとは淋しがりや」と言われたときは、びっくりした。

 世の中がつらくなればなるほど、「自分」というのが抑え込まれて、その空気に囚われて自由が利かなくなる。自分というのは一番わからない謎だけど、だからといって曖昧にしても、それはそれでいけないような気がする。「臭くないかなあ」と、自分の服をくんくん嗅いでみよ...。

 

砂漠 (新潮文庫)

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