二人きりの世界で

 昔から、大勢の場が苦手だ。たくさん人がいると自然と役割が設定されて、キャラが作られていく。人気者キャラとそうでないキャラ、という風に。だからクラスのお別れ会みたいなのには一度として参加しなかった。誘われてないわけじゃなく。うーん、もっと突き詰めて言い直すと、大勢の場の「空気」が苦手なのだ。これ言っちゃだめだよね、とか、ここではこう言っておくべきでしょ、みたいな、声にならない無言のオーラが肌に合わなかった。あと、大勢いるといろいろと自由も利かないし、帰りたいのになかなか言い出せなかったり、ほんと面倒ばかりな気がする。

 だから二人っきりは嬉しい。もちろん、休みの日にわざわざ自分の苦手な人と会うわけないから、会いたい人と二人でじっくりお話しする。マクドナルドでも、タリーズでも、どこでもいい。ただゆっくりできるならそれでよかった。別に友達じゃなくても、母親と何気ない話をするのはけっこう楽しい。

 二人というのは、いうならば直線のようなものだ。三人なら、三角形。三角形って、ほら、不安定な形でしょう。とげの部分が。四角形は非常に安定した形だけど、4人はいつでもふたつの二人組を作ることができる。つまり、二人は一番安定した数だと思う。二人で話すなら、必ずどちらかが聞き手か話し手にならないといけない。それがいい感じ。

 雑談は、どんな堅苦しい話よりも重要だと思う。たとえば、近所の奥様方やサラリーマン同士が「今日は暑いですねえ」とか「久しぶりに晴れましたね」とか言い合っているように、くだらない、何気ないところから話を始める。でもいつのまにか、「将来どうなるんだろうね」だったり「大学生になって思ったんだけどさ...」というような大きな話に繋がっていく。川の流れがやがて海にたどり着くのに似た、この起承転結をとても大事にしたい。だって、はじめから話題を「将来について」と決めてしまうと、だんだん枠が狭くなって、味がしなくなる。あと、ただ単に、さっきまでしょうもない話をしていたのに今はこんな深刻な話してるね、っていうのはすごく素敵なことじゃないかなあ。そしてきっとそんな深刻な話は、二人(つまり、話している人の数が少ない)だからこそできる気がするのだ。二人っきりの中で暖められた世界が、個人の生活に活かされ、帰結してゆく。くだらない雑談の中でふいに現れた世界の真理が、日々の生活を輝かせてゆく。この素晴らしさを、友人に会うたびなんとなく感じる。

 最後に、ひとつ。くだらないは、下らない。下回っていかないということだ。