傘の下の空気

 日傘代わりに普通の傘をさして出かけたら、何とも言えない照れ臭さを味わった。女の子に人気の喫茶店で、男一人パンケーキを食べているような気分だった。この違和感はただ単に慣れていないからだと思うけれど、慣れるまで少し時間がかかりそうだ。

 小沢健二さんがホスト役を務めるApple Musicの番組「Tokyo, Music&Us 2017-2018」の第一回、満島ひかりさんがゲストとして出演しているのを見た。ひかりさんは小沢さんの「ラブリー」を聴いて、「雨の日のプライベート空間(晴れの日にはできないあれこれ)」と表現されていた。正直、僕にはこんな風には表せないと思った。「ラブリー」の歌詞には雨という単語は出てこないし、どちらかというと晴れた夜のイメージだし。でも「雨の日のプライベート空間(晴れの日にはできないあれこれ)」という言葉からは、軽々と情景が浮かび上がる。女の子と男の子が狭い傘の中に納まって、家路へと急いでいる。水溜まりをよけながら、二人は高い声で笑う。信号待ちで誰もいないのが分かると、口づけを交わすかもしれない。そんな甘い空気も、二人しか知らないのだ。

 雨の日でなんだかぽかんと思い出すのは、傘をさして歩いていて、ふとクラスメイトがいるのに気づいたときだ。仲がいいとも悪いとも言いがたい微妙な距離感の人で、向こうはたぶん僕に気づいていない。その子の前を通り過ぎるときの、静かな駆け引き。気づくなと思う気持ちと、気づかれてみたいと思う気持ちのジレンマが生まれる。顔が隠れるまで傘を下げ、ある程度歩いてから振り返る。信号待ちだったのか、その子はもういない。かすかに激しく動く心臓と、雨の音がやかましい。

 これを書くのはやめようかとためらったけれど、大事な記憶なので残しておこうと思う。高校三年生の冬、僕には付き合っている女の子がいて、もうすぐ離れ離れになるころだった。彼女はここに残って、僕は新しい場所で学ぶことを選んだ。この頃にはまだ関係が終わるとは思っていなかったから、なかなか切なかった。もうこれからはそんなに会えないという日、部屋でゆっくり過ごして、気がつくと雨が降っていた。こんな日に雨か...と思いつつも、彼女はちょっと先まで見送ってくれた。二人で交わした言葉は書かない(プライベートな空間のお話だから)けれど、雨なのか涙なのか分からずに家に帰ったのを覚えている。

 日傘の下のプライベート空間も、いつの日かロマンチックなものになるのかな。太陽に背を向けながら、傘を持つ彼とアイスクリームを食べる彼女。溶けそうになってるのを彼が慌てて舐めて、ふっと笑いが起こったりね。