NIGHT SCRAPS

夜をつらつら書き連ねるブログ

ばらばら

 赤ん坊が泣きだすと、それに対して文句を言う人がいる。僕なんかは「許容してあげればいいのに...」と思うし、そうなるとお母さんやお父さんの気も安らぐのだろうな。でももし僕が本当に許容的な人間ならば、こんなことも考えなきゃいけないように思う。「赤ちゃんの泣き声を許容できない人も許容されなければならないんじゃないか」。赤ちゃんの泣き声に対して怒る人を、僕は許容できていない。

 「許す」と言う行為は、一義的なものなんじゃないか。一方を許すと、もう一方がもやもやした感情を抱いて、我慢しないといけない。だからぎすぎすしたときには、対話が必要なんだろうと思う。おじさんが「うるさいだろ!黙らせろ!」と言った場合、隣の席の人が「まあまあ、いいじゃないですか。子供は元気が一番ですよ」となだめ、その隣の人が「あなたが若い頃もこんな風でしたでしょう?」と諭す。第三者が加入することで、小さな社会がゆるやかな関係になる。「しかたなく許す」んじゃなく、「許した方がいいんだな」という方向に持って行かなくちゃいけない。

 しかし、まずそもそもだけど、「赤ん坊がうるさいのが耐えられないから文句を言う」というような「俺様主義」って、自分が気づいていないことが多い。まるで誰かの声を代弁してあげている、と勘違いしている人もいるんじゃないかな。「俺様主義」によく見られるのは、「俺が正しい」「だから俺の言うとおりにしろ」ということだ。

 小さい頃、『もののけ姫』や『ラピュタ』を観ていて、「どうしてサンやシータは、アシタカやパズーと一緒にならないんだろう」と思っていた。でも今考えてみると、「女性たちが男側の社会に組み込まれて当然だ」という思考が、まさに「俺様主義」なんだろう。向こう側とこちら側が一つにはならず、ばらばらのまま在り続けるのが本当の摂理なのかもしれない。サンにはサンの世界があり、アシタカにはアシタカの世界がある。見る側としては当然「一緒になって幸せになってよ!」と思うわけだけど。

 どうしても介入してみたいあちら側の世界を、ぼおっと眺める。一つになってしまえば、それは強いチカラによって他方が支配されてしまうだけに過ぎない。ばらばらが、一番ちょうどいいのかも。なぜなら、あの人とこの人は永遠に分かり合えないかもしれないから。だからこそ、自分とは違うものすべての存在を許し(偉そうな言い方だけど)、認めることは結構大事なんじゃないかな。時には話して「はは、面白いな」なんてことも思いながら、ずうっとばらばらなまま。それが素敵だ。たぶん。 

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