VILLAGE GREEN

男子大学生がほぼ毎日書いているブログ

同じじゃない

 知らず知らずのうちに人を傷つけていることがある。それは、自分が言われても嫌なことを無神経に発言してしまう場合か、自分は言われても何ともないけど、相手にとってはつらいことだった場合の二つだと思う。後者の場合、発言の細かい部分まで気にしないといけないなあと反省する。そして、僕とあの人は同じじゃないんだという、当たり前のことに突き当たる。

 女性とか、男性とかいう物差しで人を見たくないなと、最近考える。たとえば僕が「男性」というカテゴリーの中で見られたときに、「男なのに〇〇なんだね」とか「男だったら〇〇するものでしょ?なんでしてないの?」と言われたら、ずいぶん腹が立つと思うし、あなたに僕の何がわかるんだと怒りたくなるだろう。川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』という小説には、結婚も子育てもせずにただ働く女性と、結婚したけれど夫とうまくいっていない女性が出てくる。きっと世の中には、「理想の女性像」みたいなものがあって、それに当てはまる人もそうじゃない人も、それぞれのつらさや苦しさがあるように思う。あと、男性が育児休暇を取りにくい理由も、「男性像」みたいなものをみんながぼんやりと持っているからだろう。僕に関して言えば、父が赤ん坊の僕を育て、しつけ、母はその間働いていた。なんだかこの経験は、結構大きい。

 だいたいの人は、どこかのグループに所属している。学校や職場、性別や国籍。こういうグループが、その個人を見る上でのフィルターになってほしくない。日本人なのに〇〇しないの?という疑問は、どこかでその人を「日本人」の中から除外している。最近いろんなニュースを見ていて思うのは、「個人」を大事にしなきゃいけないなあということだ。きっと、女性だからってすべての女性のことがわかるわけじゃないし、学生だからすべての学生を理解できるわけじゃない。個人個人が、それぞれの違いを妥協できたらいいのにね。あと、「男性」という立場を利用して悪いことをする人をニュースで見ると、同じ男性として、なんだか罪深く思う。同じ人間じゃないのに。同じ性別だから、もしかすると自分もしてしまうかもしれないという危機感が、この罪悪感を生み出しているんだろうか。

  「同じじゃない」ということは、ずっと意識していないとなあと思う。今日授業で消滅しそうな言語について学んだ。社会がグローバルになるほど言語は統一されてゆくけど、それで失われる文化もあるだろう。言語の多様性が弱まるのは、人々の暮らしの多様性を弱まらせることに近い気がしている。

 それぞれの多様性を「わかる」まではいかなくても、「妥協する」ことができれば、もっと住みやすい星になるのに。いつの間に息苦しいところになったんだろう。まったく。