ゆふれゐ

   本屋。興味のある雑誌を手に取って紙を捲っていると、後ろに人の気配を感じる。見えないけれど確かにいて、見えないゆえに気になってしまう。雑誌の内容が頭に入らない。捲る手を止め、本を閉じる。それを元の場所に戻すと、さささと去る。妙に身体が重い。人とすれ違うだけでひどく神経を消耗して、疲れる。そうして外へ出てみれば、今度は無邪気な熱に構われて、気がつくと汗が噴き出ている。シャツが肌に張り付く。

   最近、肉体がなければどれだけ便利だろうと考える。皮膚も性器も髪もない。衣服も住所もたぶん必要ない。魂だけが町を泳いでいく。あらゆる責任を放棄した姿はずいぶん楽そうで、水のように軽やかに思える。いや、こんなこと考える自分はちょっと疲れているのかもしれない。だけど気分転換に外に出ると汗だくになって憂うつな気分を覚えるし。家にいたって退屈極まりない。TVを見ると息をするのも苦しくなる。ラジオ番組は深夜になるまで面白くない。八方塞がりだ。

   時どき、自分が幽霊のように感じるときがある。いるのにいない。「死んだ者」として眺めているような感覚。光を浴びて人間を演じる彼らを、舞台袖の薄暗がりから見つめる幽霊。物語の終わりを予感しながら、ただそのときを待つだけの存在。死んだ、遅れた者だからそれしかできないんだという虚しさと、ステージでの狂騒と距離があることへの気楽さ。物語よ終わるなと叫びつつ、その内実では「さっさと終わってしまえ」と思っている幽霊。

   肉体はあまりに多くのことを魂に付加してしまう。面倒だなと思いつつ、仕方がないとため息をつく。いつか本当に幽霊になってしまうまで、肉体を労らなければならない。現在地に縛られ、キッチンから漂うひどい臭いに悩まされ、強い風で簡単に吹き飛ばされてしまう。それでも肉体が行なった一つ一つが、僕を残していく。僕がいなくなったとき、部屋に、そして誰かの頭に残ったすべてが、僕を再び作り出す。いないのにいる。それが幽霊。