さびしい群像

 イギリスの労働者階級について調べているとき、日本語訳されている文献の少なさに困り果てた。英語ができたらなあ、と思ったし、それでも数少ない資料はレポートを書くのにかなり役立ってくれた。例えば労働者たちが暴動や抗議運動を行ったという事実は、多くのことを教えてくれる。彼らが団結し、勇気を持って残した歴史は、そのまま彼らの言葉になっている。だけどそれは、あまりにも悲しい言葉だ。権力の中で窒息した言葉。

 もしもあなたが(現在の労働環境や経済状況に対して不満と憤りを持っているあなたが)まさに今死んでしまったとして、何が残るんだろう。きちんと火葬してもらえたなら骨が残ってくれるはずだけど、それ以外でいったい何が声を上げ、あなたと全く関係のない誰かの耳に届くのだろう。僕が死んでも、これを読んでくれる人なんて両手で足りるし、あなたが死んでも大して変わりはしないかもしれない。そういう意味で、僕(そしてあなた)は彼らよりも無意味で、頼りない存在だ。それぞれの魂では同じようなことを思っているのに、それがまとまらない虚しさ。

 サッチャー政権下のイギリスの労働者階級について調べていると、ふと自分の顔が写る瞬間がある。彼らは、例えば暴力や抗議運動で自分の存在を示し、本の中に残ることができた。さて、自分は...?と問われているような気分だ。いや、さっさと仕事に就いて黙々と働けばいいんだけど。なんとなく、ね。

 いくらブログやSNSで権力に対して怒りを吐き捨てたとしても、広い海の中で腐敗して、形が無くなってしまう。政治というものが日常においてタブーになっている以上、僕らの絶望はただの風になって、そのまま何気ない明日になる。SNSでいくらでも見つかる怒りの声や深いため息は人々を結ぶ糸になりそうなのに、僕らはただの孤独な群像でしかない。ペットボトルが踏みつぶされる無機質な音。扇風機の風で流される塵や埃。そういうものだ。僕らは、先の未来の世代から見れば(どれだけ雄弁に喋ったって)「何にもしなかった世代」だ。ただ都合よく振舞った働きアリ。...はあ。言いたいことを言えてよかった。どうせ読む人が少ないんだったら、言いたいことを言わなくちゃね。あなたもすぐ忘れてくれるだろうし。

Nowhere Fast

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