青春音痴

 雨の中で鳩が地面をつついていた。工事現場の人たちが誰かの家を壊していた。大学には集中講義を受けている学生の姿がちらほらと。そんな風景を横切りながら、イヤホンからはナンバーガールが流れていた。車が雨を轢くやかましさを蹴っ飛ばすくらいのやかましさ。

 今まではそんなに聞いてなかったけど、久々に聴くと血が騒ぎだし衝動に身を委ねたくなる感情に襲われた。「透明少女」の歌詞を読むと、これが青春なのかなあとぽかんと感じる。僕が三歳のときにはもう解散していたバンドで、今朝嬉しいニュースを見て無性に聴きたくなったわけだ。ちょうど心の調子が優れていなかったこともあって、彼らの激しさについ震えてしまう。

 青春というものが未だにわからない。「青春は素晴らしい」みたいな常套句もしっくりこないし、若いということが偉いとも思わない。「若いけどこれだけ知っている」なんて、大人になればただの物知りだ。教室の隅っこの日陰でずっと過ごしてきた自分としては、青春のまぶしさがちょっと目障りだった。だからそういうものを忌避しつづけて、二十歳になった。

 制服姿のカップルが手を繋いで帰るのを見るとこっちが恥ずかしくなるし、男子生徒二人組が仲良く帰ってるのを見るとイイナアと思う。自分の情けなさをふと突きつけられ、多大なるモンダイを拾い集め、同世代と比較しては一喜一憂。社会との相性の悪さに笑みさえこぼれ、隣の芝生に秘められた桃色の妄想をくり返す。そうして夜と向き合っている。

 泣きたくなるぐらいに気づかされるいろんなことへの敗北に、ナンバーガールの音楽が共振する。ライブ映像の観客みたいにただ馬鹿馬鹿しく暴れたい。もし「青春」というものが終わっているとしても、それを全身全霊で渇望している。身体を吹っ飛ばされたい。圧倒的な力で。

 あの頃リアルタイムで聴いていた世代も、もう三十代後半くらいかな。「青春」を終えた人たちがもう一度熱狂するさまはどんな感じだろう。鈍色だった青春も光放った青春も、夏の陽の中で乱反射する。その光の一つに加わりたい。一緒に歌を叫びながら、汗をかきたい。曇天の下でそう思う。

透明少女

透明少女

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