朧な爪

 そういえば、今日は誰とも喋らなかった。大学生になってすぐは、誰かとすぐに仲良くなれるものだと思っていたから、そのことにすごく傷ついた。もの静かな部屋に佇む自分が憐れで仕方なかった。でも今は、そんなことを思い返すことも少ない。慣れというのは恐ろしいものだ。僕は、「誰とも喋らなかった」ことになんにも感じない今の自分がなんとも哀しい。

 月曜日に喫茶店が営業を再開したとき、本当は行きたいと思っていた。ご飯を食べながら本を読みたかった。だけどその日が来てふいに「今じゃないかな」という謎の声がして、今日の今日まで引っ張ることにした。例えば料理に好きな食べ物があったとき、先に食べるか最後まで残すか分かれるけれど、たぶん僕は後者なんだろう。けちけちと、楽しみをそっと置いておくのだ。

 午後五時の半ば過ぎ、空に明るさが若干保たれている頃、とぼとぼと歩いた。一週間の疲れや、「しんどいなあ」とこぼした夜を引き連れて。コンクリートの階段を上るとき、コツコツという音が小さく響いた。扉を開くと、いつも座っていた席には女の子が座っていて、仕方なく奥の方の椅子に座る。すぐ横には二人の男の人がいて、一人は大学四年生で就活をしているらしき人、もう一人はその人より先輩で、もう仕事に就いていると思われる人だった。知らないふりをしていても、彼らの会話が自然と耳に入ってくる。そのすべてが、就活の話だった。もうこの世には「就活」という概念しか存在しないんじゃないかと思ってしまうぐらいだった。本を読んだり、サンドイッチを齧っているあいだも、そのことをつい考えさせられた。...ぶつぶつぶつ。

 喫茶店でたっぷりと滋養(漫画をそこそこ読んだ)を吸い込んで、外へ出た。金曜日の夜。ひと気のなくなった大学を通り過ぎ、少し遠回りして家まで帰る。車のヘッドライトが疎らになると、空に星の光がちらちらと浮かぶ。遠くには月がきれいに欠けている。爪切りで切った親指の爪がどこかへ飛んでしまって、夜の暗がりでぽかんとぶら下がっているみたいだ。それにしても、きれいだと思った月を撮ろうとスマホを取り出しても、ぼけてしまって全然だめなの、どうにかならないものかな。

 僕らはずいぶん想像力が豊かだから、いろんなことについてああだこうだと考えこんでしまう。未来のことを想像すると、トランクから溢れてしまうぐらいの苦しさが現れる。だけどまあ、そんな大きいことを思ってお腹を痛めたって仕方ないわけだ。...たぶん。一週間乗り切ったらあそこに行こうとか、明日あれを食べようとか、そんなのでいいんじゃないかと、自分の都合よく叫びたい。おわり!

YOU AND ME

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