好き part.3

 図書館を出ると、西日の中に人影があった。よく見ると、それはお子さんを抱えた先生だった。あまり喋ったことはないけれど、授業は取っているし、「お借りしたい本があるのですが...」とメールのやり取りなどをしたことがある。なにより、僕はこの先生がなんとなく好きだ。小動物、特にモルモットを思わせる愛嬌がある。今週の火曜日の授業が休講になったのだけど、先生の体調が原因らしかった。そんな気弱さも、可愛いなあと感じる。

 一度でも「可愛いな」と認識した人は、なんでも可愛く思えてしまう。遅刻しても、時間配分を誤って全然内容が進まなくても、すべてが許される。でもそういう可愛らしさの根幹には、誠実さとか、ナイーブさとか、膨大な知識なんかが確かにあるのだ。それは、容姿における''可愛らしさ''とはまったく違うものだ。

 今の教育の流行りとして、グループワークというのがある。複数人で話し合い、意見を交わし合う。僕はこれがとても苦手で、いつまでもグループ内の空気がかちこちに凍り、言葉が吐き出しづらい。どうせなら一人であれこれ考えたいのに、「将来必要だから」という理由でいろんな授業で頻繁に行われている。

 先生は、「苦手な人はメールをください、別の課題を渡しますから授業を休んで構いません」と言った。「僕もどちらかというと苦手なので」。海外に行って研究を発表したりしている人なのに、自分とあんまり変わらないところがある。仕事をしないといけないのに、全然関係ないことに時間を割いてしまう。時計の針を見間違えて遅刻してしまう。そんなエピソードに人肌の温度を感じる。完璧な人への僻みとか嫉みは無関係。ただ素直に、愛おしいと感じているのだ。

 先生がなんとなく小沢健二っぽいから、「ある光」を。

ある光

ある光

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 Pixivなんかで「この漫画いいなあ」と思ったものには、ついつい感想を送ってしまう。それが絵師さんに届いているのか、どう受け止められているのか分からなかったけど、自分がその立場になって少し理解できる。恥ずかしい。そして飛び上がるくらい嬉しい。たった二文字だけど、二文字に収まらない気持ちがある。不思議だあ。