歓びの種

 学祭の期間だからか、図書館が開いていなかった。作業しようと思っていた自分は幻滅して、いつものように自転車でぶらぶらすることにした。ミスタードーナツでオールドファッションをかじり、コーヒーをお代わりしながら、少し作業を進めた。一時間ぐらいでそこを出て、またぶらりと本屋を訪れた。別に探していた本や雑誌はなかった。しかし、なぜか足は「哲学」の分野へ伸びていって、アランという人のエッセイを手にしていた。

 アランの『幸福論』、どうして今まで知らなかったんだろう。それが不思議なくらい、彼の文章はきれいだった。景色が浮かぶ言葉の中で、彼の考えが呼吸をしている。自分が生まれる前に亡くなった彼の鼓動が、ページをめくる指先で感じられる。『幸福論』はいろんな出版社から出されているようだけど、中央公論新社から出ていたものはほんとよかったなあ。

 ふと動画を漁っていたら、タモリさんが話しているものを見つけた。タモリさんは、魂のゼロ位置の話をしていた。魂というのはもともと自由で不安なものだ、と。だから人は、職業や性別、年齢といった事柄に魂を置くことで安心する。話は変わるけれど、ヨーロッパではかなり階級というのが大事にされている。自分がどの階級に生まれたのか(労働者階級か中流か、それとも上流か)というのも、魂の位置と関係あるのかもしれない。

 人はあまりにも他律的な生き物だ。洗濯をする主夫は雨に苛立ち、病気を患った人はそのことにすいぶん病む。アランはかなり楽観的にこう言う。「不幸は不幸しか呼ばないんだから、笑いましょうよ、楽しもうよ」。彼の例えでいいなあと思ったのは、長い長い列車の旅だ。何時間もかかる旅を想像してほしい。乗客の中には、「早く着かないのか」と貧乏ゆすりを始める人もいる。きっとそこにアランがいたら、「まあまあ、外を御覧なさいよ。空と大地が移り変わっているのが見えるでしょう」と言っただろう。

 大学の図書館が閉まっていたのは、もしかしたらアランに出会うためだったのかもしれない。オノヨーコさんの言葉で「不幸に見せかけた幸運」というのがあって、僕はこれをたびたび思い出す。不幸に見えても、結果的にそれは幸運かもしれない。なんて楽観的で、もっともリアルな考えか。

 これは土曜日のお話。今日はゼミに関するちょっとした仕事をしてきたから、ちょっと疲れた。明日は、先生が教えてくれた喫茶店に行くんだー。ジャズのレコードが流れ、古本がたくさん置いてあるらしい。野菜のサンドイッチとジンジャーエールを頼もうかな。楽しみをふっと植え付けてくれる人は、本当に有難い。

歓びの種

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