フェルマータ

 耳の奥で、男性と女性が中国語で話し続けている。ラジオの周波数が合っていないのか、時折それは恐ろしいくらい不安定になり、悪い夢でもみている気分になる。それでも耳を離せないのは、ちょっとした孤独感が心地いいからだろうか。たった一人で中国を訪れているように感じる。それにしても何を話しているのか全然わからない。

 帰省して両親と話していると、書くことがそれほど思い浮かばない。一人の時間が少ないからだと思う。僕が毎回楽しみにしてる、あるブログの中にも同じようなことが書かれていて少し嬉しくなった。だけど僕は、書くことがないとかなり不安に襲われる。書き終えた恍惚感、また虚脱感を感じることで、心が安らいでいたのかもしれない。だから何も書かないでいると焦った。

 大学生をしていると、いろんな不安に襲われる。大学生って、学問に没頭するだけじゃいけないのかしらん。でも僕も不安に負けて久しぶりに問題集を買った。受験生の頃とはちがって、別に絶対正解しなくてもいいから気持ちは楽だ。知らなくても「へえ、こういう意味なんだ」と開き直ればいいし。僕は日本語も英語も読むのが好きで、話すのは苦手だ。うん。

 不安に急かされてさまざまなことに顔を突っ込んで、意味もなく疲れることがある。世の中で議論されていることについて自分も何か考えていないといけない気がして、色々考える。でもたくさんのことがそうであるように、「こうである」という模範解答はない。複雑だし、それが事実かどうかも分からない。延々と考えて、結果「分からないわ」とすべてをなし崩しにすることばかりだ。

 最近、いろいろなこと(台風の被害や北海道での大地震)があった。ツイッターでさまざまな情報を追いかけて疲れた。こんなに被害がひどいんだ、という情報だけが目について、「じゃあこれからのために自分たちは何をすればいいのか」まで思考が働かない。いまテレビでは、事故を起こした芸能人についてや、体操界でのパワハラ問題を(まだ)している。パワハラのほうなんて、コーチの暴力について誰も言及しなくなったじゃん。まあそれはどうでもいいのだけど。

 議論というのはどこか、自分も顔を突っ込んでおきたいという欲からされているような気がする。別に話さなくても構わないようなことで、今も延々と人々は頭を働かせている。ずうっとアクセルを踏み込んでいる。僕は少しブレーキを踏みたくなった。暗い部屋でラジオを聴くのは懐かしい感覚がする。チューニングを合わせるだけで、僕は孤独になれる。