キッズ・アー・オールライト

   僕の実家(マンション)は、窓から大きな山が見えていた。春には紅をさし、夏には青々と輝き、秋には赤く燃え、冬には淋しい姿を見せる。両親がこの部屋を選んだのも、この景色を気に入ったのが理由の一つらしい。僕もこの窓からの景色が好きで、日が沈むのを椅子に座ってじっと眺めたりしていた。それが何年前だろう。マンションの前に大きな老人ホームが建ち、その景観をほとんど塞いでしまった。今では、かすかに空と緑が控えめに目に映るだけで、なんだか物足りない。カーテンをパーっと開けても無機質な灰色が立ち尽くしている。僕や両親は「あの景色がよかったのにね…」と不満をこぼしていた。しかし、それでも年月が経ってしまえばそんな生活にも慣れてしまって、帰省しても「ああ、こんな感じだったね」とぼんやりと思う。

   人は慣れの生き物だ。ずうっと高いところにもずうっと寒いところにも順応していける。チョコミントが苦手な人も食べ続けたらなんか美味しいような気がしてくる(かもしれない)。人の「慣れ」の能力はすごい。でも、一方で、僕は変化が恐ろしい。たとえば気象の変化でカンタンに体調を崩すし、近所のローソンが違うコンビニになっても無意識的に「ローソンのおにぎり食べたいのに…」というストレスを抱えるだろう。変化が怖いから、継続している現状に甘んじている…気がする。

   なにしろ、一度ある料理にハマったらそればっかり作ってしまったり、チョコパイおいしいなと思ったら自然とチョコパイ買っちゃったりする性質だから、危ない。キリスト教が毎週日曜日を休みにした理由がわかる。ルーティンというのは楽だもの。規則を軸にしながら、いろいろ考えていけばいいから、頭を使わなくていい。その規則が少しでも崩れたらあたふたして、どこから手をつければいいのかわからなくなる。

   今日は、ほとんど聞かないザ・フーのベストアルバムを棚から取り出して、久しぶりに聞いてみた。やっぱり初期のI Can't ExplainとかAnyway, Anyhow, Anywhere、My Generationは色褪せないなあと思った。普段まったく聞かないけど。

   ふと考え事をしていると「僕って来年ハタチなんだよな…」という事実がとつぜん顔をだして、色々悩んでしまった。別に一つ歳をとるだけのことなんだけど、なんだか何かしないといけないような気がしてくる。やだなあ。でもツイッターのフォロワーさんが勉強している姿を見ていると、自分も何かしてみたいなという気が(わずかながら)起きてきた。明日、本屋に行こう。ザ・キッズ・オーライ!!