これでいいや

 又吉直樹さんが昨年に近畿大学の卒業式で講演されている内容を見た。その中で興味深かったのが、養成所のときの話だ。入学式の時点では数百人いた若者が、夏には半分の人数に減っていった。又吉さんはその理由を「自分に対する期待が多すぎたんじゃないか」としていた。学生時代に周りの中心でたくさんの笑いを取っていた人が、いざその世界に入ると評価されなかったりクスリともされなくなる。もっと笑ってもらえるはずだと期待していた自分に裏切られるうちに、だんだんとお笑いから離れていってしまう。じゃあ又吉さんはどうだったかというと、「まぁまぁ現状そうかもしれないな」と、ある種ポジティブな受け止め方ができていた。そのことがお笑いを続けられた原因だったのかもしれない。

又吉直樹氏 「バッドエンドはない、僕達は途中だ」 平成29年度近畿大学卒業式 - YouTube

 又吉さんのお話を聞いていて、こんなにポジティブなら少しくらい生活が明るいものだったろうなと思った。「明るい」と言っても、きらきら光ってるとかまぶしいとかではなくて、いろいろなことに挑戦できたり、いろんな人と関われたりするという意味だ。何かしたいことがあったとして、それに挑んでもし失敗しても「まあこんなもんか」と開き直ることができたら。僕は失敗すると「ああだめだ、もうやめよう」と落ち込んでしまうのだけど、これによってどれくらい損をしてきたんだろうと考える。

 どうにもならないことは、必ずあるだろう。例えば顔とか。村上春樹さんの短いエッセイで「これでいいや」がある。春樹さんは今まで「ハンサムですね」と言われたことが一度としてないらしい。しかし、これでいいやと思っているし、考え方や感じ方、話し方なんかで好かれた経験が何より滋養のある事実だと書いている。なんていうか、「ボクにはこれがあるから別に大丈夫だよ」という強い自信が欲しい。「ボクはこういうことを考えているし、それで人に好かれているから、顔が良くなくたって気にならないね」。

 服を買うためにブランドのホームページを見たとき、モデルがみんな顔立ちがよくて気が滅入ってしまった。もちろんかっこいいなと思う服はあったけど、これを自分の顔で、自分のスタイルで着たとしたら、こんなにかっこよく見せられるだろうかと考えてしまう。そうだ、自分よりかっこいい人や満ち足りている人を見たり接したりすると、「自分ってだめだなあ」という結論に至りやすい。それを「まあ、これでいいや」とするりとかわせたら、すごく楽に生きられそうだ。例えば「仕事できないけど、まあいいか」とか「勉強できないけどこんなもんか」とか、とりあえず自分を柔らかい毛布で受け止めたい。しなやかにね。

The Hand That Rocks the Cradle

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