愛でる

 実家のお風呂は、タイル張りだった。僕がまだ保育園児ぐらいの幼いころ、でこぼこした模様の中からミッキーマウスや恐竜などの形を作り出す、いや探し出すことをしていた。子供心に、何でもないでこぼこから楽しさを見出したかったんだろう。一緒にお風呂に入った父親に「ここにミッキーがいる」と熱心に語っていたけれど、たぶん父親はよく分からなかったと思う。星座を作り出した人たちだって「ほら、あの星とこの星を結んだらサソリに見えるね」と嬉々として話していたんだろうし、何回も「見えないよ」と冷たくあしらわれたに違いない。

 ゼロの地点から世界を作り出している人々は、みな才能を持っている気がする。画家にしろ作曲家にしろ、真っ白を埋めていく作業は大変なものだ。いや、もちろんインスピレーションや他の作品からの影響はあるにせよ、そのつらさはやってみて、そして続けてみて初めてわかるものだ。例えばただ本を読んだのと読書感想文を書くのとでは難しさが違う。この話はどういうものか、そしてそれを読んで自分は何を感じたのかを書くのはどうもむつかしい。作家は、そういう言語化しにくい無意識的な部分もきちんと言葉にしなければならない。でも、何か一つ、世界の一端だとしてもそれを表現できた日には、街を歩くのが楽しいに決まっている。

 夜にコンビニから自宅に戻るときだった。イヤホンからはブラーが流れていて、つい浮足立ってしまった。Sunday Sundayのミュージックビデオでのデーモンのように、ぴょんぴょんと跳ねたくなって、大きくスキップをしたのをなぜか覚えている。その大きなスキップは、「何でもできるような気がする」という気持ちがさせたものだろう。ときどき音楽を聴いていると、馬鹿みたいだけど「何でもできる」と思ってしまう。きっと大人になって働き始めたら、SMAPの「がんばりましょう」やユニコーンの「大迷惑」を噛みしめながら聴くに違いない。毎朝スーツを着て会社へ向かい、地味なお仕事をして苦労を味わって夜遅くに帰宅する大人たちの情景を、ポップソングに込めたのは本当に素晴らしいと思う。

 明日もたぶんものすごく暑いし、日を浴びるのは自殺行為に等しいけれど、夏の歌を聴くとなんだか楽しくなってくる。すべての娯楽や芸術も、きっとどこかで「誰かの下らない生活を面白くしたい」っていう気持ちが働いている気がしている。僕もなるだけポジティブなことを書きたいし、普通のことを言いたい。あの人もこの人も知っていることを。だから、「これ、ミッキーに見えるよね」と言って、「確かにそう言われれば...」とうなずいてくれるように努力しないと。さっ。


Blur - Sunday Sunday