若葉

 走っている。雨の中を、小学生が傘もささずに駆け抜けている。子供たちの中には、傘を持っているのにさしていない子もいて、微笑んでしまった。元気な子は、ほんとに元気だ。でも親御さんの立場からすれば、びしょびしょになって帰ってこられても困るだろうな。服を脱がして、タオルでからだを拭く。靴も濡れるだろうから新聞紙なんかを詰めてあげないと。雨は面倒だ。

 そういえば自分が小学生のとき、友達の傘を壊してそのままダッシュで帰ってしまったのを思い出した。そのあと母に話してなんとかなったけど、記憶はずうっと残っている。小さい頃から調子に乗ると人に迷惑をかけてしまう性質(たち)だから、いろいろと後悔を積み重ねてきた。すごく不思議なんだけど、気を付けよう気を付けようと思っていても、一度ブレーキが壊れたらそのまま駆け抜けてしまう。昔からの病みたいなものだけど、気を付けないとなあ。

 子供を産むということは、花屋さんで無作為に苗を選ぶことと似ている。それがどんな花に育とうとも、愛を持ってかわいがる。時々しおれても、またなんとか咲けるようにたっぷりの水と肥料をあげる。好きな色の花が咲かなくても、その色を肯定してみる。苗は、風や水の味を感じながら成長していく。そして花は種を残して、そおっと枯れる。

 小さい頃の経験は、そのあとの自分を大いに創り出しているような気がする。自分が生まれた場所、周りの人、育った町の匂い、走り回って掻いた汗、いろんなものが心を飾る器になる。でも、それって自分が選べるものではないから、嫌いな町で嫌いな人と関わって大きくなった人は、いったいどんな器が出来上がるのだろう。器をぱりんと割って新しい器を作ろうとするとき、どの要素を材料にするのだろう。きっと人は、自分の意識がどれだけ手を伸ばしても掴めない無意識を所有している。それがいつまでもねちっこく附いてくる。

 木は、あらゆるものを吸収して青々とした葉を繁らせる。自分もまだ大人じゃないから、きっと吸収している途中なんだろう。自分に子供ができると、いろんな考えが変わるらしいけど、それは「自分はこの子を育てていくんだ」という意識が関係しているような気がする。子供にいろんな栄養を与えながら、「与えている」ことから自分が育てられている。青葉は、いったい何時になると枯れるのか、わからない。

 子供たちが雨の中を走り抜けていく。なんだか、花が水を吸い取っているように見える。それとも、雨の日に現れる妖精か。