古典について

 ゼミが始まった。女性の先輩方がちょっと大人びていてまごついたけれど、悪い人たちではなさそうだ。男性の方々は、まだわからない。知らない人ばかりだから居場所はないけども別に気にはしていない。先輩方のレポートを見させてもらったが、興味深いものが沢山あった。ジャズについてだったり、サリンジャーについてだったり。

 で、前にも書いたように、このゼミではシェイクスピアの『リア王』を読むことになっている。だから今日も図書館でお勉強したけど、やっぱりむつかしい。『リア王』が初めて宮廷で上演されたのが1606年なので、どれだけ時代が違うのかわかる。さすがにここまで時代が離れると言葉の意味も移り変わるみたいで、テキストにはいちいち注釈がつけられている。正直、読んでいて頭が痛くなってくる。文章が難解なうえ、内容もまたややこしく、当時のことがわからないとチンプンカンプンだろうなと思う。ノエル・ギャラガーが「シェイクスピアはファッキン意味わからん」とどこかのインタビューで言っていたのを思い出した。

 高校で国語の時間に古典を習っていたとき、やっぱり「なんの役に立つんだよ」と思っていた。模試の過去問に出てくる文はだいたい色恋ごとで読んでいて「ふふ」となることはあってもそれが日々の糧になることはないだろう。そう感じている人はきっと僕だけじゃなく、今年から受験生になった方々も頭を痛めているはずだ。

 先日、これもまた課題のため読んでいた夏目漱石の『こころ』で、「御かくれになる」という言葉を見つけた。古典を習った人なら「天皇がお亡くなりになる」という意味だってなんとなくわかると思うけど、まさか漱石の文章で見るとは。僕は正直びっくりした。そしてまだこの言葉を覚えていた自分にも驚いた。数学の公式とかはさっぱり忘れているはずだけど、古典はまだなんとか大丈夫なようだ。しかし僕はここで、なんとなく考えた。今は「御かくれになる」という言葉は使われていないよな、と。

 ここで一つの例を挙げたい。「素晴らしい」という言葉だ。誰かを褒めたたえるときなどに使うこの「素晴らしい」という言葉は、以前は「ひどい」とか「だめだ」なんていう意味で使われていた。でもいつの間にか、それとは違う意味に移り変わったんです。これってすごく面白い。たとえばバラエティー番組なんかで、この言葉の意味は〇〇で、あなたが普段使っている意味は間違いなんですよ」と言っているのがあるけど、もともと言葉は「流動体」なんだと思う。時代によって意味は変わる。古典を習う意味は、そうした言葉の変遷をなんとなく感じることが一つとしてあるような気がする。でも、変格活用とか係り結びとかやっぱりめんどくさいですよね、うん。