町からそれぞれの生活へ

 面白そうなゲームを探していて、「Fallout Shelter」というスマホゲームに行き当たった。自分だけのシェルター(避難所)を作り、部屋を拡充してシェルターの住民に電気や水、食料を生産してもらう。男女を一つの部屋にいさせると、子どもが生まれ、その子が大きくなり新しい働き手になる。ときどきシェルターには兵士やラットなどが襲撃してくることがあり、そのためには撃退用の武器を住民に持たせておく必要がある。

 本当にやりこむのが楽しくって、楽しすぎて生活のほうに支障が出るほどだったので今はまったくしていない。でも、住民の数が増えるのに比例してシェルターが大きくなっていくのは見ていて感慨深かったし、FPSをやっているときとは違う楽しさがあった。

 こういう開拓系のゲームをやってみて思ったのは、今の社会ってよくできてるなあってことだった。ゼロから始めてみてやっと分かった。というか、見え方が変わった(これ書いてみて久しぶりに思い出したけど)。自分の何気ない消費行動にはいろんな人が関わっていて、その人たちの生活にもまた多くの人が関係している。買い物帰り見かけたおじさんも、この町のシステムの一部になっているんだなあ。そう考えると(町を作っていく側から見ると)、無駄な人は一人としていないんだと、ごく当たり前なことだけど思う。

 例えば東日本大震災や熊本の震災のようなことが起こっても日本全体が崩壊するまでに至らなかったのは、この社会が高いレベルにあるからなんだろう。町ができてゆくさまを一から考えてゆくのはゾクゾクする。石器時代の生活ってどんな風だったんだろう。歴史書には、そんな大事なことが残っていないから、残念だ。

 でもいつの時代でも「生活」の難しさはあんまり変わっていないんじゃないかな。それこそ槍や弓矢を持って獣を追いかけることはないけど、社会が発達していっても「生活」は難しいじゃないですか。洗濯物が生乾きで臭くて周りの人の視線が気になるとか、自分と同じ服着てる人見つけて恥ずかしいとか、ちょうどお米切らしちゃったけど買いに行くの億劫だなあとか。あと、隣の部屋の人が深夜に洗濯して迷惑だけど、それを言いに行ってさらにトラブルできちゃやだなあとか。どの時代でもやっぱり「生活」をしっかりやっていくのは大変な作業だと思う。だから、自分がどんなにダメなやつに思えても、「生活ちゃんとできてるぞ。えらいぞ」と褒めてやりたい。

 全然関係ないけど、「街」って漢字より「町」のほうが好きです。青く繁った田んぼとか、でこぼこ道なんか思い出して、なんだか懐かしくなるからです。