NIGHT SCRAPS

夜をつらつら書き連ねるブログ

エス・オー・エス

 肥えている気がする。別に息苦しい感覚は覚えないけれど、確実に食べている量が増えている。なんだか知らないがお腹が空いているような気がして、ぼさぼさとスナックを手にして口に放り込む。それは、「ぼんやりとしたさみしさ」が関係してるのだろうか。「ぼんやりとしたさみしさ」は、囚人の気分に似ている。いつまでここに閉じ込められているんだろうという切ない気分だ。

 去年の夏、付き合っていた人と別れた。帰省したときに、母に「太った?」と聞かれた。たしかにその頃の写真を見ると、頬のあたりがふっくらしていて笑ってしまう。思い当たる節もある。アポロというお菓子を妖怪のようにぼりぼり食べていたのだ。糖分にただ救いを求めて、その食べている時間に癒されようとしていた。他の誰かに頼ろうとは思わなかった。そういう相手もいなかった。だから食べることしかできなかった。

 高校の先生がよく「分からないところがあれば聞きに来てね」と言っていたのを思い出す。先生にそういうことを聞いた覚えがない。聞くことが申し訳なかったし、聞いて結局分からなかったらやっぱり申し訳ないと思った。その代わりお母さんとかに「ここ分かる?」と聞いて「分かるわけないやろ!」とツッコミが来るのを楽しんで、「わかんないなあ」とうだうだやっている方がまだよかった。

 そうした状況は依然として変わっていない。いや、人に頼ることがだんだん苦手になっているんじゃないかと疑ってしまう。テスト前に「授業のプリントの写真送ってほしい!」とラインしてきた同じゼミの女の子がいた。体調の優れない中で写真を撮りながら、「人に頼れるってすごいなあ」と思っていた。なるべく欠席しないようにびくびくしていた自分とは違う。

 ふうっと疲れた日には、みんなが幸せそうに見える。「友達がいない」という人には案外友達がたくさんいて、「お金がない」という人はなかなかいい生活を送っている。ふっと恋人の存在を匂わせる写真を見るたびに、ぴゅーっとどこか遠くへ行きたくなる。死ぬまでネットに浮遊するんだろうか。なんだか辟易する。突然何か月もツイートしなくなって、久々のツイートが「ディズニー楽しかった!www」みたいな人になりたい。自分もそういう生活に馴染めるだろうか。あんまり考えたくない。

 今日はやくしまるえつこさんや相対性理論の曲をたくさん聴いていた。生きづらいなあと感じているときに聴かれる音楽は、何十年もいきいきと呼吸するだろう。僕の文章もそういうのでありたい。人気になりたい。「POPEYE」とかで連載してみたい。

天地創造SOS

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