NIGHT SCRAPS

夜をつらつら書き連ねるブログ

望郷巡り

 けだるい気温の中、逃げるように大学を歩いた。ついさっきまでの緊張感がさっと去ったから、腰が抜けるような脱力感がふっと訪れた。試験の間はお腹が空いていたけど、終わった今はもうそれも居なくなっている。スーパーに寄って必要な分の買い物を済ませ、店を出ると気温差から眼鏡が少し曇った。

 ここ数日、タオルの欠かせない日々だ。ベッドに横たわっていると、あるイメージがふわりと浮かんでくる。青い草が茂っている、湿地。遠くの方に、誰も住んでいなさそうな古ぼけた家が建っている。雲のないクリーム色の空の下で、風に吹かれながら僕はそれを見ている。数年前の夏に読んだ『思い出のマーニ―』の風景だ。いろいろ誤差はあるかもしれないけど、目をつむって現れる景色はこんな感じ。そして、その本を読んでいる自分の姿も曖昧ながらも思い出せる。誰もいない部屋で机に座り、エアコンの風にあたりながらページを捲っている。この小説を読んでいるとき、僕はその湿地の住民だった。風車小屋の中で激しい雨風と闇の気配におびえた。

 こんなことは素晴らしい小説を読んでいると自然と起こる。森見登美彦さんの『夜は短し恋せよ乙女』や『四畳半神話大系』を読んでいるとき、僕は見たこともない京都の町を練り歩いた。夜の町には提灯がともり、ずいぶん古そうな路面電車がのろのろと走っている。鴨川ではロケット花火が炸裂し、どこかの古本市で火鍋が行われている。あちらこちらで騒ぎがひしめいている町で、僕も忙しそうに走り回った。

 村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んでいる僕は、迷える青年だった。この小説を読んだのはいつだったろう。直子に手紙を書き、大学で授業を受け、その帰りに緑と食事をする。レイコさんの弾くビートルズに耳を傾ける。悲しみに暮れ、一人旅に出る。そしてそっと、緑に電話をかけてみる...。話のすべては覚えていないけど、ところどころは記憶している。それは、「僕」という身体を借りてその世界の空気に触れたからだ。本のカバーを手に取ってみると、そのときの経験がぱっと目を覚ます。

 きっとそうやって色々逃避してきたんだろうと思う。つらいときに『こころ』の「私」になって先生とともに散歩したり、伊坂幸太郎の『砂漠』の「北村」になって大学のメンバーと麻雀をしたり。それはまるで、この空間の自分ではできないことを平行世界の自分に任せて、経験だけを頂いているような感じだ。文字から風景が浮かんでくる。そしてそこを歩いているうちに、自分の居場所を見つける。カメラのシャッターを切り、自分がそこにいたのだと頭に焼き付ける。