NIGHT SCRAPS

夜をつらつら書き連ねるブログ

点/線

 町を歩いていて、この男性とこの女性は夫婦なのかな?と思ってよく見ていると実は全くの赤の他人だったり、全然関係なさそうな二人が実は友人関係だったり、というようなことがよくある。さて、路面電車に乗る。停留所にとまると、二人の男性が入ってくる。足の不自由な男性Aと、その人を支える別の男性B。この二人はどういう関係なのだろうと考えてしまう。友人?それとも、AさんがBさんにお仕事として依頼しているのか。それにしても、ずいぶん親密そうに見える。僕はますます分からなくなる。

 僕は本や音楽がとても好きだけど、それはもしかしたら人との接点を増やしたいというエゴが起因しているかもしれない。もちろん、好きなものしか読みたくないし、聴きたくない。でも「知っている」ということで人との会話が成り立つ場合がある。「〇〇って知ってる?」「あ、いや、知らない...」「あ、そうなんだ...」。知らないというだけで会話がシャットアウトしてしまったら、なんだか悔しい。だからなんとなく、自分の中にたくさん戸棚を持っておきたいと思うようになった。

 ゼミの時間や他のあれこれで人と関わるとき、なんだか心がほっとする。僕という存在が(嫌々かもしれないけど)受け入れられている感覚がする。「本当は人と関わっていたいけど、迷惑になるのだけは嫌だ」という自分の中のジレンマをやさしく解消してくれているのだ。「表面的な付き合いをする人は苦手」という人がいて、当然その人の気持ちもよくわかるのだけど、「あまり人に干渉したくないし、されたくない」という意見もよくわかる。ただ、人間関係というのは、必然的に「迷惑」だとか「犠牲」を伴うものかもしれない。

 点と点が結ばれて線を描く。かなり遠くの点どうしがくっつくこともある。先ほど「たくさん戸棚が欲しい」と書いたのも、なるべくたくさんの線を作れるようにしておきたい、ということと同じ意味だ。一度会って「合わないかも」と思った人とも、必ずどこかで線を描くことができる。たぶん。だからたくさんのことを知っておきたいし、できるなら好きになりたい。

 線がまた「ただの点と点」に戻るとき、やはりそこには悲しみが生まれる。卒業式からしばらくして「あの子今どうしているんだろう」とツイッターで名前を調べてみたりしたあなたは、もう悲しみの味を覚えている。二度と会えないんだと思うと呆気なくて清々しいぐらいだけど、点と点が結ばれていた間の時間を思い返すと、じーんとなる。そしてまた、新しい点を探して生きていく。