NIGHT SCRAPS

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世界の遊び方

 奥山由之さんや川島小鳥さんの写真を見て思うのは、「これは景色が素敵なのか、写真家さんの景色の見方が素敵なのか、どっちなんだろう」ということだ。たぶん僕がそこを通っても「うわ、虫だ」ぐらいしか気にしないだろう。でもそんな何てことのない景色も写真家さんのフィルターをくぐると、「空気がおいしそうだ」とか「疲れが吹っ飛びそう」なんて簡単に口に出しそうでおそろしい。

 そして、歌。星野源さんや草野マサムネさんの詩の世界も、いったいどんな目で景色を眺めればこんな言葉がするりと出てくるんだろうと不思議になる。詩を読んで浮かんでくる映像は、畳敷きの部屋だったり、空の彼方、爽やかな日のさす朝かと思えば、逃げ場のない地獄。言葉で編まれた世界はやおよろずで、一生体験できないようなことも描かれている。例えば、「恋」という題材一つとっても嬉しかったり悲しかったり、そのときどきで世界の見え方が変わってくる。

 そんな人たちの目が欲しいなと思う。きっと何事もおもしろく、きれいに映るのだろう。彼らの写真の中に溶け込みたいし、詩の世界でそのキャラクターを演じてみたい。スピッツの「遥か」を聴いて思い浮かぶのは、カルピスだ。カルピスのような瑞々しさ、身体にすうっと行き届いてゆく透明度。ほんのり甘くて、口の中にしばらく残る感じ。草野さんの目線で世界を見てみたい。そうして、世界の真理や神秘をぐるりと覗いて、もっと作品の中へ潜っていきたい。

 草が風に吹かれてそよそよと揺れる。なんだか身体を揺らしながら笑う人のように見えて、面白くなった。雲がくじらの形に見えて嬉しくなるのと同じだろうか。ごくごく当たり前のことに新しい顔が覗けたとき、ぱあっと日が射してくる。町や、家、生活の中に新しい何かを見出してみる。雨が本降りになったら、雲の上の誰かが機嫌を悪くしたようなイメージがときどき浮かぶ。太陽が顔を出せば...。

 ほぼ日が主催する「生活のたのしみ展」も、その題名も趣旨もすべて面白いなと思った。たった少しのツールで営みの色は明るくなり、意識さえも変えてしまう。心を明るくするのなんて実は簡単じゃないかと思えてくる。世界はいくらでも遊び放題だし、楽しんで損はない。街へ出かけようと家で窓から景色を眺めようと、ちょっと少しのチカラで魔法は生まれる(と思う)。僕が好きな星野源さんのエピソードで、あるCMの撮影中、スタッフさんの頭に雪が落ちてきた。それを見た星野さんはこう言った。「あ、ハート形だ!」。同じ世界でも、その見え方はまったく人それぞれ。それがまた、すてきなのだ。