NIGHT SCRAPS

夜をつらつら書き連ねるブログ

青春って何だろう

 Netflixで見た海外ドラマ「このサイテーな世界の終わり」が最高だった。サウンドトラックはグレアム・コクソンだし、物語の内容も「サイコパスの少年と人生を変えたい少女のロードトリップ」と、こりゃ見なあかんって感じだし。青春真っ只中の男女の物語にはそそられる何かがある。彼らのピュアさや愚かさ、ごつごつした岩石のような未熟さが好きだ。最後まで一気に見て、第二期がほんとうに楽しみになった(あるのか分からないけど)。もしこれにハマった人がいれば、ジョン・ニコルズの『卵を産めない郭公』をおすすめします。

 高三の冬ぐらいから、「ああ、これから青春終わるんだなあ」とぼんやり考え始めた。もしかしたら大学でも「青春」を感じている人がいるかもしれないし、定年後に「青春」を謳歌してる人がいるかもしれないけど、たぶんそれは「青春」ではないと思う。ほんとうの青春は、未熟さを伴っている気がするのだ。ただただ純粋で、人に迷惑をかけ、そしてブルーになって...。そういう幼さが青春を作っている気がする。もちろん、年を重ねても未熟な部分はあるけど。

 ただ、どこをどう「青春」と定義すればいいのか、悩んでしまう。大学生の中には、「青春最後だから」と旅行に行く人も多いんだそうだ。でも、青春ってお金みたいに消費していくものじゃないし、「はい、ここで終わりね」と区切りを自分でつけるものじゃない気がする。青春は単に通過点だし、たぶん「青春最後の旅」に出かける人は、ただ懐かしいだけで、みんなでだべったり、ゲームしたり、そういった自由な時間が恋しいだけだと思う。そして、過去へのいろんな未練とか、未来に対する不安とか、そういうものが今に影響している。僕が青春小説が好きなのも、「僕もこんなのがよかったなあ」という後悔が関係しているのかもしれない。

 世界によっていろんな青春の形があるのだろう。日本は欧米に比べ校則が厳しいと聞いたことがある(校則って結局、学校側のエゴだよね...)。校則がちがちで「みんなと同じであることが正しい」と教わって育つ人と、自由で多様性に満ちて育つ人では、やっぱり違ってくると思う。青春というトンネルの先は、ほんとうに人それぞれ。僕はどんな景色を見るのだろう。

 最近僕が考えること。いろんなものをカテゴライズする傾向をやめたい。「男」とか「女」とか、「日本人」とか「アメリカ人」とか、そういうカテゴリーに分けて人と接するのは、もう古いんじゃないかって思う。個人が個人とどう接するかが大事じゃないかなあ。これに関しては、また今度。