男子大学生のブログ

UKロックが好きな男子大学生のただのブログ

「MONKEY」を読んで

今日、大学の本屋で柴田元幸が編集している「MONKEY」の最新刊を購入した。目当ては、小沢健二の文章だ。オザケン(偉そうにこの呼称で呼ばせていただく)の文を読んだことは、今までなかった気がする。日本を離れ世界各国で暮らし、学んだ中でどういったことを思ったのだろうと、すごく興味が湧いた。

僕は文学部で学んだことはないし、ガイコクへ行ったこともない。そのガイコクの知識はほとんどはメディアによるものだから、もしかしたらアフリカや南米の本当の姿は僕の頭の中の妄想と異なるかも。いや、だからガイコクは面白いのか。

オザケンの文章を読んで思ったのは、ああこの人は文化を大切にされているな、ということだった。以前、鈴木孝夫さんの本で「日本人はイギリスとかアメリカの発音に囚われている」という文章を見た。確かに英語の授業では発音が結構厳しく教えられ(まあ、高校で養われるのは読解の能力が主だと思うけど)、実際に僕も英会話の授業でアメリカ人の講師に指導されている。でも、ここまで「日本的な外国語」が無意識のなかにまで潜在しているのだから、それを「日本の英語」にしてもいいんじゃないかな、と考えてしまう。ちょうどそれは、英語圏の人たちが小さい「つ」、つまり「っ」が発音しにくいのと同じで、長らく日本語を母国語としている人たちにとってr(アール)とl(エル)の発音の区別は難しいのだ。でも、もし「っ」が発音しにくくて「そっち」が「そち」になっても、それはれっきとした日本語だし、許容してしまえばいい。

明治時代に日本にガイコク、特に欧米の文化が入ってきて、沢山の言葉が生まれた。例えばてんぷら。元の言葉はtempera、だからテンペラというのかな。その音を日本人が勝手にテンプラと解釈して「天ぷら」なんて風に変化させてしまったのだ。よくよく考えてみると、それはものすごく面白いことだと思う。

今の時代は、よく「グローバル社会」なんて言われる。要は、文化と文化が触れ合いやすくなる社会だ。でも、それで起こってしまう問題がある気がする。なにかというと、「アメリカやイギリスの文化が優れていて、日本の文化は劣っている」という見方だ。何を根拠に欧米を正しいとしているかはわからない。でもすごく残念だなあと思ってしまう。日本のお笑い、ドラマ、沢山の文化は日本人の感性によって生まれたものだと思う。ガイコクには漫才はないだろうし、あんなツッコミもない。日本の恋愛ドラマは駆け引きをよく描くけど、海外ではそんなことはないらしい。でも日本のみんなは、引っ付いたり離れたりする二人を見てドキドキしたりキュンキュンしている。どちらが正しいということはない。そして、どちらも面白いじゃないか。