NIGHT SCRAPS

今 https://note.com/star_gazer_

 もう、曇り空さえうっとうしい。そのうち鼠色の雲が空を覆って大雨を降らすのが分かるからだ。おかげで洗濯物はなかなか乾かないし、靴の中は水槽のようになってしまう。もう何日晴れ間を見ていないだろう。自然と気分は落ち込んで、首元を締め付ける湿気に気持ちが苛立つ。雨のいいところなんて、夏の制服が雨に濡れ、肌着が透けて見えるぐらいじゃないかな。

 頭が痛くてろくに勉強もできず、不毛な時間を過ごして夜が来る。寝付けないまま、ふとした瞬間に思考が真っ新になる。クリアになった視線の先に、いくつもの課題が見えてため息が漏れる。さあ、わからない。これが本当の世界なのか、不安が増殖した架空の世界なのか。そうして、夜の闇が濃くなって寝汗がシャツに染みてなんにもできてない焦燥感がまた夜の色を深くしていく、いや、違うか、ただ単に昼に起きてのほほんとしてたからか、とにかくそんな風に心がぐっと沈み込むときにはある種の願望がちらりと顔を出す。

 例えて言えば、物語を強引に終わらせたい願望。きっと読者は唐突に物語が切れて戸惑うことだろう、でも読者のことなんて正直どうでもいいんだ、という気持ち。きっとこの夜にも、自分の物語に区切りをつける人はいるんだろう。ビルの屋上で、電車のホームで、小さな浴槽で。彼らの弱さや勇気に、ちょっと同情する自分がいる。それは多分、僕にはできないことだからだ。

 僕がまだ物語を終わらせることができないのは、心のどこかで先の展開に期待しているからかも知れない。自分の中の楽観主義。その人がペンを持ち続けている。どこかで未完に終わった物語の余白に、さらさらと書きつける。決してこの物語は自分のコントロール下にはないし、話があっちに行ったりこっちに行ったり非常に気が散るものになっている。読む人によっては「駄作」と評されるだろう。だからいつも、この話を気に入ってくれる人を探しているのだ。この話をもっと豊かにしてくれる人を。

 天気予報をチェックする。傘のマークがずっとつづいている。いつになれば終わるのか分からない雨の日々。だけど、うん、どこかでは虹がかかり、誰かの可愛い肌着があらわになってくれる。一つの傘の下に、二つの影が隠れている。乾いた土に温かな雨が降り注ぐ。晴れ間はそのうち来るはずだ。

ハルジオン

ハルジオン

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柳のような日々

 お昼休みの教室は、明かりがないと薄暗い。蒸し暑い季節にはそれぐらいが丁度いいのかもしれない。ガラス戸を開けて、にぎやかな音と控えめな風を中へと誘う。窓という額縁の中に、初夏のスケッチが収まっている。優しい色が輝いている。同じゼミの女の子と少しお喋りしていると、先生が来て教室にぱっと明かりが点く。それから長い一時間半がはじまる。

 自転車がでこぼこの道を通るたびに、かごのなかの食材やらお菓子やらが揺れる。授業が終わり、スーパーで「今晩何食べよう」と考えている間に時間はあっという間に過ぎて、夕日がまるく尖っている。草を揺らし、雲を流す風はすっかり心地いい。ランドセルを背負った子供や、部活帰りの少年たちが信号待ちをしている。家に帰って、面倒だなあと思いながら料理を作る。今晩はナポリタンだ。包丁で切り、鍋で茹で、フライパンで炒める。食べ終わったら食器や調理器具をスポンジで洗う。うん、疲れるけれどなぜかやめられない作業だ。一人なんだから適当でも誰にも文句は言われないのに。

 そういえば、去年の今頃はあの人と仲良くなりたいと思っていたんだった。もっと暑くなる前、普通に言葉を交わしながら隠していた不潔な感情。夏祭りとか、喫茶店とか。あの人の涼し気な服。二人で過ごす場面を想像しては、たしかなナイフで切り裂いた。今は同じゼミの人として、清らかに関わっている。それでいい。それがいいと、心の底から思う。もう夢の中に現れることだってないし、妄想で演出をする必要だってない。たとえ、きれいな蝶が誰かの指に止まっても強がっていられるのだ。

 僕の生活は柳に似ている。決して上を目指すことなく、ひどく恨めしく見えるときだってある。だけどその緑には血が通い、今日も風に吹かれている。水を、日の光を求め、か細い枝を繋ぎとめる。今晩何を食べようか考え、カーヴァーの詩に救われる日々。きっとそんな感じだ。それはそうと、しだれ柳、僕は好き。なんだかちょっと、さびしさを覚えるからか。艶っぽい長髪みたいで、きれいだなあと思う。解散前のビートルズが柳の葉に囲まれている写真も好きだ。いつか僕も、あんな風に撮られてみたいのだけど。誰かすてきな女の人と。

One Man Parade

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さびしい群像

 イギリスの労働者階級について調べているとき、日本語訳されている文献の少なさに困り果てた。英語ができたらなあ、と思ったし、それでも数少ない資料はレポートを書くのにかなり役立ってくれた。例えば労働者たちが暴動や抗議運動を行ったという事実は、多くのことを教えてくれる。彼らが団結し、勇気を持って残した歴史は、そのまま彼らの言葉になっている。だけどそれは、あまりにも悲しい言葉だ。権力の中で窒息した言葉。

 もしもあなたが(現在の労働環境や経済状況に対して不満と憤りを持っているあなたが)まさに今死んでしまったとして、何が残るんだろう。きちんと火葬してもらえたなら骨が残ってくれるはずだけど、それ以外でいったい何が声を上げ、あなたと全く関係のない誰かの耳に届くのだろう。僕が死んでも、これを読んでくれる人なんて両手で足りるし、あなたが死んでも大して変わりはしないかもしれない。そういう意味で、僕(そしてあなた)は彼らよりも無意味で、頼りない存在だ。それぞれの魂では同じようなことを思っているのに、それがまとまらない虚しさ。

 サッチャー政権下のイギリスの労働者階級について調べていると、ふと自分の顔が写る瞬間がある。彼らは、例えば暴力や抗議運動で自分の存在を示し、本の中に残ることができた。さて、自分は...?と問われているような気分だ。いや、さっさと仕事に就いて黙々と働けばいいんだけど。なんとなく、ね。

 いくらブログやSNSで権力に対して怒りを吐き捨てたとしても、広い海の中で腐敗して、形が無くなってしまう。政治というものが日常においてタブーになっている以上、僕らの絶望はただの風になって、そのまま何気ない明日になる。SNSでいくらでも見つかる怒りの声や深いため息は人々を結ぶ糸になりそうなのに、僕らはただの孤独な群像でしかない。ペットボトルが踏みつぶされる無機質な音。扇風機の風で流される塵や埃。そういうものだ。僕らは、先の未来の世代から見れば(どれだけ雄弁に喋ったって)「何にもしなかった世代」だ。ただ都合よく振舞った働きアリ。...はあ。言いたいことを言えてよかった。どうせ読む人が少ないんだったら、言いたいことを言わなくちゃね。あなたもすぐ忘れてくれるだろうし。

Nowhere Fast

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ゆっくり滑らかに夜は

 昼に起きて、夜に眠れなくてそのまま朝になって、夕方で中途半端に眠って、また夜から朝に移り変わった。積み木が崩れた、その散乱したところにまた積み直しているような気分。いやすべて、自分の怠けがいけないのだけど。それでも疲れは溜まって、どこかで発散したかったから、午後の授業のあと喫茶店に向かった。

 そこでの時間は小さな贅沢だ。料理をじっくり噛んで味わい、本を黙々と読みふける。ジャズのレコードの音と、ときどき路面電車が通り過ぎる音。氷が小さくなるときの「からん」という涼しい音。それに溶け込むように差し込まれる、隣の席の男女の会話。そうやって夜の空気がどんどん膨らんでいく。深く黙り込んだ言葉の一つ一つを、紙から掬って舌に乗せる。知らない味、愛おしい味。さっきまであった、刺すような頭の痛みはどこかに行って、甘い香りが広がっていた。

 ひび割れ、その隙間から何かがこぼれ、壊れそうになりながら、ずっと欠けた部分を補う日々。疲れていると、ほんの些細なことをするのもすごく億劫なことに思えてしまう。だからほんと、コツコツ地道にこなせる人はすごい。なまけものな僕は、こうやってたまに休まないと、一週間を乗り切るのも難しいのだ。

 また本を買ってしまった。読んでいない本が積まれるたび、もどかしい気持ちも増していく。あの本を開いて、そのあと違う本に目を通す。少しページを進めてもすぐに眠りにつかないといけない。だけどそれも悪くないかもしれないと、帰る道の途中で思った。濃い青の空に灰色が混じって暮れていく。読みたい言葉の一つ一つを、ぜんぶ読み切れるか分からない。取りこぼし、忘れてしまう。それでも今日も、少しずつ新しい秘密を手にして、その喜びを抱えていくのだ。

 こうやって小さな贅沢のことを思い出しながらも夜はゆっくり滑らかに下降していて、文章を考えている頭はもう一方で「あれもしないと、これもあった」と道行く先を待ち受ける課題のことを意識している、いや、すっきり忘れて早く眠りたい、明日も昼に用事があるし(そのあと晩御飯の食材も買いに行かないといけない)、来週にはテストがあるから図書館かどこかで勉強しないと...、ああ、もう眠ろう、こんな文章もそろそろ終わりにして。

Cemetry Gates (2017 Master)

Cemetry Gates (2017 Master)

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銀河

 地上から遠く離れる感覚。宇宙に行く機会がない限り、あれだけ浮き上がれるのはあの時間ぐらいだろう。今でも、空を小さな光の点が移動しているのを見かけると、あの粒の中に人が何人も乗っているのかと不思議に思う。僕が初めて飛行機に乗ったのは高校の修学旅行のときで、帰りの便の記憶が強く残っている。なんとなく友達になりたいなと考えていた男子生徒と席が隣になって、二人だけで少し会話できた思い出。彼は窓側の席に、その左隣に僕が座り、ときどき彼越しに景色を眺めた。

 街の明かりが、多くなったり少なくなったりする。光がぱちぱちと広がったかと思えば、ずうっと黒い海が続く。あそこは大阪かな、そろそろ着陸かなと、明かりの強さや多さで推測してみる。宝石の輝きに人々が魅了される理由が少し分かった気がした。ただの光の連鎖が、とってもすてきなものに感じられるのだ。

 その風景とは関係ないかもしれないけど、僕は去年受けた授業のことを思い出していた。ホッブズやロックといった哲学者が「政治社会はこうあるべき」と考えたことを学んだ。統治者が与えられる権利はどこまでなのか、人民は統治者に対してどれくらいの自由が保障されるのか。そういうのって、実はあんまり意識したことがないことだと思う。先生の話を聞く部分が多かったけど、他の学生と話し合う時間もあった。ホッブズの考えにはこういうデメリットがあると思う、ロックとはこんな相違点がある...。みんなの頭の中には政治社会が浮かんでいて、そこで起こる問題や恩恵を想像している。そのことが妙に面白かったのを覚えている。

 機内の窓から見えた小さな銀河は、どれくらいの人によって作られているんだろう。全国に電気が行き渡り、ビルや住宅があちこちに建ち、明かりが灯る。道路を街路灯がほのかに染め、車のヘッドライトが夜を駆けていく。その景色には、僕もいる。機内ではたどたどしく話していた彼とは友達になり、センター試験のあとには一緒にCD屋に寄り、そのあとドトールで夜を費やした。そうした営みを作り出しているこの社会。正しさも不条理も含んでいる社会。今日もまたうごめき、光を放っている。

 あの授業で習ったことは、なかなか実践するのは難しいだろう。統治者にどれだけの権利を許して...とか、ね。でも考え続けることは無駄じゃない。こぼれ落ちる人を一人でも掬うために。悪意の手を、団結して払い除けられるように。銀河はそうして豊かになっていくはずだから。

夜を駆ける

夜を駆ける

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冥利

 都会に住みたいと思ったことがない。大きな街に住んでいる自分の姿が全く想像つかないし、人が多いとうんざりしてしまう性分だし、とにかく向いていないのだ。もちろん、観たい映画が自分の地域で上映しなかったり、好きなミュージシャンのライブで交通費が嵩んだり、田舎ならではの面倒さもある。でもずっと暮らしていくことを考えると町の空気が肌になじむ。

 ぎゅうぎゅうの地下鉄に乗ったとき、それは確信になった。すし詰めの状態の中、はっと気がついたのは自分の邪悪さだ。「これだけ人がいるんなら、ちょっとぐらい乱暴に押して前に進んだって...」。そういう声が至極真っ当なものに思えてくる。誰よりも先に乗り込んで安心したいこの隙間を縫えば前に進めるぞやっと乗れたあの人は乗れなかったけど仕方ないだろうんそうだ...。薄暗がりの心の内でせわしない独白がつづいた。ああ、満員電車で通勤通学なんて...、ちょっと考えたくもない。

 自分は、長閑なところ以外じゃ息ができないだろう。偉いポーズも、ちゃちな見栄も、肩が凝るばかりだし(まあそうは言ってもしなきゃいけないときもあるわけだ)。友だちはみんな忙しくなって言葉をだんだん交わさなくなって、都会に行った君や知らない街に進んだ彼と何を話せばいいのか分からなくなって...。また一人で僕は本屋に行く。カーブを曲がって、小さな橋を越えて。今日はpanpanyaさんの漫画を買って帰った。家では、ひじきと鶏団子のお味噌汁が待っている。本の中には、つげ義春のようなシュールさとふんわりとした可愛さがあって、紙を捲るたび踊る。

 僕の町を通っている路面電車。もしかしたら、降りずにそのまま乗り続けたら『ねじ式』みたいな世界か、またはトトロがいるような自然豊かな土地に舞い降りるかもしれない。この町のすぐそこで、とびきり変で奇妙な空間が存在していたっておかしくない。panpanyaさんの漫画を読んでるとそんなことを思う。平坦で無機質な町に違和感が入り込んでくる。さあ、休日に大学の図書館へ行ってみる。人はほとんどいなくて、窓辺に座るとジオラマを眺めている気分になる。町の代謝や、怪奇を見つけ出そう。屋根の色や道路のうねりから。

三日月

三日月

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機械

 家庭科の時間なんかで、昔の家電はこんな感じだったと写真付きで教えられる。洗濯板から洗濯機へ、テレビはモノクロからカラーへ。電話は公衆から個人のものになり、いろんな機能を内蔵するように。そういう変化を見るにつけ、未来のことをふと考える。今の不便さはそのうち改良され、無駄が短縮されるかもしれない。逆に新しい機械について本でも買って勉強しなきゃいけないかもしれない。

 技術が変革して、僕らの暮らしにまで影響を及ぼす。それは概ね便利で、さっき言ったように短い時間でなんでも済ましてくれる。じゃあ、そうやって削れた時間はどこに行ったんだろう?女性たちは家庭から外に出て働き始め、男は...多分家事を手伝うようになった。それくらい余裕がなくなったとも言えるけど。便利さで余った切れ端。どう使ってみよう。糊をつけ、「労働」に付け足してやりたいと思う人もいるはずだ。疲れても大丈夫。料理しなくても解凍すればいいから、と。

 ネットワークに繋がる手段がなかったころ、音楽雑誌で気になるアルバムを見つけたときは妄想力がよく働いた。アートワークとか曲名とか、ちょっと明かされた歌詞を拾い集めて音にした。今ではすぐ解決してしまう。謎は膨らまず、すぐに弾けて飛んでいく。調べて分かりっこないときだって妄想することが無くなった。ただ苛立って、まあいいやと諦めるだけ。そうして(ネットワークが与える)タダシイ知識だけが積もっていく。有難いけど。

 好きな人とふたり、部屋で過ごす時間。レコードをかけながら雑誌を捲ったり、ギターをつま弾いたり。TSUTAYAで借りた映画のDVDを見ながらポップコーンを食べたりしてもいい。ソファでうたた寝して、目覚めたときにはもう夕映えがきれいに見える。どこかへ歩いて行って晩餐を食べるのも、キッチンでいろいろ作るのもいい。そのあと一緒にお風呂に入って、夜を過ごす。朝になって、二人で汚したシャツやシーツを洗うんだ。まあぜんぶ僕の妄想だけど。別のもので代替できるちょっとした不便さも、なんだか気分のいいときは乗り気になってしまう。いろんな速度に逆らうみたいに。フロアでゆっくりとダンスを踊るみたいに。

夜を使いはたして feat. PUNPEE

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