NIGHT SCRAPS

今 https://note.com/star_gazer_

くせのうた

 子供の頃から、爪を噛むくせが治らない。母親に「友達にばかにされるよ」と非難されても、どうしたって治らなかった。今だって。考え事をしてるとき、孤独なとき、僕の爪はあまり褒められたものではない。爪を噛むという行為は、ある種の自傷行為らしい。そうして、ストレスを発散させているのだという。僕はもう何年と、自傷行為を続けていることになる。友達にも、「汚いからやめといたほうがいいよ」と諭された。そうだなあ。確かに、よくない。

 高校生の頃、あるクラスメイトとドトールに行った。その人は僕のストローを見て「あ、」と言った。「噛んでる」。僕もそう言われて初めて気がついた。ストローに、歯型がついている。僕はくせで、よくストローを噛みながら飲み物を飲む。噛んでいるから吸えるものも少なくなる。いつからやってるんだろう…。その人は続けて言った。「ストロー噛むのって、欲求不満らしいよ」。それは意外だった。うむ、おしゃぶりみたいなものなのだろうか。

 そういえば、僕は小学4年生の頃、よく鉛筆のキャップを噛んでいた。噛んだときの「ばり、ばり」という感触が心地よかったのだろうか。今考えるとぞっとするけど、口の中に入れたりもしていた。お昼の休み時間、みんなが運動場で遊んでいる中、僕は鉛筆のキャップを口の中で噛んでいたのだ。変な子…。いや、そう考えると、僕は小学生から欲求不満な人間という風になってしまう。自分ではそうでもないと思っていたけど、知らぬうちにフラストレーションを感じていたのかな。

 夢占いでも、自分が無意識の底へ抑え込んでいたものが晒されて、恥ずかしくなる。「いや、そんなはずはない」と見栄を張ってしまう。未練?ないない、とか。あるんだろうね、たぶん。

 くせを白状するのは恥ずかしいことだ。あ、今も爪を噛んでしまった。心理学を習ったりすると、こうした人の行動一つ一つが客観的に洗い出されるのが面白い。自分が行動したつもりでも、実は脳がそう司令していたんだ…と愕然とすることもある。「欲求不満?ないよ」と虚勢を張っても、こうして文章を書いて反応を楽しんでいること自体、そこには「淋しさ」が宿っているのかもしれない。

 話は変わるけれど、星野源さんの「くせのうた」、好きです。簡単な言葉だけど、真理みたいなものが歌われているような気がする。僕は「夢の外へ」で源さんを知ったけれど、『ばかのうた』あたりに漂う「飄々としてるけどなんとなくやばそう」という雰囲気が好きだ。きみのくせは、なんですか?

さよなら夏の日

 雨が降りそうだった。でも、降らないようにも思えた。かすかな希望を信じて、僕は外に出た。秋の気配はあるけどまだ湿気が鬱陶しく、胴の部分にしがみついてくるような感覚があった。一応、家から傘を持ってきた。

 図書館は歩いて10分ほどの距離だけど、身体が温まった。髪は汗で湿気て、頬や耳が赤くなっているとはっきりと分かった。周りの人は涼しい顔をしているので、恥ずかしくなって、余計に暑くなった。図書館で読んだのは村上春樹さんの『村上さんのところ』だ。読者からのメールに春樹さんが答えているのが面白く、またぐっときた。

 さぁ、帰ろう。図書館を出ようとしたとき、傘がないのに気がついた。入り口で置いて来たはずだ。…誰かに盗られたんだとわかると、急に気分が落ち込んだ。なんだよ…。

 そのまま帰ってもよかったけど、まだそういう気分になれなかった。イヤホンからはPrinceの"I Wanna Be Your Lover"が流れていた。自然と足が弾む。踊りたくなる。 

 帰省すると必ず一回は通る場所がある。母校である小学校だ。長い長い階段のある神社を横切り、少し歩くとプールが見えてくる。もう使われていない、エメラルドのような色をした水面。潔癖っぽい僕は、ぬるぬるとした地面が気持ち悪くて仕方なかった。懐かしい。あ、運動場だ。当時は小さな砂漠のように思っていたけど、今見るとかなり狭く感じる。ラインが引かれ、ハードルが置かれていたけど、それもかなり小さく、低い。あんなに真剣に飛び越えていたのに。

 あれこれと眺めているだけで、物語がずるずると芋づるのように姿を表す。小学六年生の頃、朝の7時には来て竹箒で学校前の道を掃いていたなあ。あと、学校の本当すぐ近くに住んでいる同級生が羨ましかった。学校から帰る道。小学一年生のとき一緒に帰っていた女の子がいたんだけど、どちらともなく「好き」だって言い合ったなあとか。小学四年ぐらいのとき、その女の子が僕に「○○さんと遊んであげて、やさしいんだね」と言ってきたこと(この言葉の真意は今もわからない)。

 景色から、音や匂いが飛び出してくる。そして、あの時はあの建物があったんだけどな…と寂しい思いも感じる。近所のローソンは明光義塾に変わった。塾がたくさんできてるけど、講師の数は足りてるのかな。僕には関係ないけど、みんな色々大変そうだ。じんじんとした疲れのせいで少し眠たいけれど、なんだか勿体ないような気もしている。夏休みが、もうすぐ終わってしまう。いつまでも、昼過ぎまで眠っていたいんだけどなあ。残念だ。さよなら夏の日。

だらだら坂

 静かな空気の中に、小さなガラス片が混じっているような本。本棚から懐かしげに手に取ったのは、向田邦子さんの『思い出トランプ』だ。200ページに13編の物語が収められている。一つ一つが短いため、あっという間に読み終えられる。15分のドラマを見ている感覚に近い。

 一番記憶に残っているのは、「だらだら坂」だ。まず、タイトルがなぜか好きだ。だらだら坂と聞くだけで、物語がぽわぁんと浮かんで来るような気がする。向田邦子さんの文章の特徴は、まず一行目で惹かれる。ほんの短い言葉で、物語の中に手招きされる。「マンションの扉を叩くのは、とんとんとふたつずつ三回と決めてあった」。「だらだら坂」は、庄治が浮気相手であるトミ子の部屋を訪ねるところから始まる。トミ子は、「はたちという若さと、色が白いだけが取柄のずどんとした」女性である。庄治は、彼女の従順さと気を遣わなくていい気楽さを都合よく思っていた。

 彼女の住むマンションは庄治が探したもので、だらだらとした坂を上った先にある。庄治は毎回、坂の手前でタクシーを止めさせて、タバコ屋で煙草を一つ買い、そこからゆっくりと歩いて部屋に着く。たぶん、時間をかけることも楽しみの一つだったんだと思う。

 読み終えて、この話は何を描いているのかと考えたときに、女らしさに安らいでいた男の憂慮じゃないかと思った。自分にとって都合が良かった女が、そうじゃなくなっていく虚しさ。楽しさのためにじっくり歩いていた坂が、重くしんどいものになる。しかし、一方で、これが女性なんだと気づく。「気取った調子で長話をしている女房」の元へ帰る道すがら、あの坂の上から見えたのは、蜜柑色の夕焼けに染まる町並みだった。なんだかそこに、ぽっとした温もりを感じる。物語はゆるりと進むけれど、その中での庄治の心の機微は鋭く感じられる。

 あと、別のお話だが「はめ殺し窓」に登場する主人公の両親がなんだか親近感が湧いてくる。父は痩せて貧相、母はたっぷりとしている。自分の親もそんな感じだ。僕の父は自分の体の調子がちょっとでもおかしいと「風邪かな?」と言って薬を飲む。そんな父の姿を見て母は「男は弱いわ」とこぼす。そんな二人の馴れ初めもドラマにできそうなのだが、長くなってしまったのでまた別の機会に。『思い出トランプ』、おすすめなのでぜひ。https://www.amazon.co.jp/dp/410129402X/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_S0rMBbJ4KW736

フェルマータ

 耳の奥で、男性と女性が中国語で話し続けている。ラジオの周波数が合っていないのか、時折それは恐ろしいくらい不安定になり、悪い夢でもみている気分になる。それでも耳を離せないのは、ちょっとした孤独感が心地いいからだろうか。たった一人で中国を訪れているように感じる。それにしても何を話しているのか全然わからない。

 帰省して両親と話していると、書くことがそれほど思い浮かばない。一人の時間が少ないからだと思う。僕が毎回楽しみにしてる、あるブログの中にも同じようなことが書かれていて少し嬉しくなった。だけど僕は、書くことがないとかなり不安に襲われる。書き終えた恍惚感、また虚脱感を感じることで、心が安らいでいたのかもしれない。だから何も書かないでいると焦った。

 大学生をしていると、いろんな不安に襲われる。大学生って、学問に没頭するだけじゃいけないのかしらん。でも僕も不安に負けて久しぶりに問題集を買った。受験生の頃とはちがって、別に絶対正解しなくてもいいから気持ちは楽だ。知らなくても「へえ、こういう意味なんだ」と開き直ればいいし。僕は日本語も英語も読むのが好きで、話すのは苦手だ。うん。

 不安に急かされてさまざまなことに顔を突っ込んで、意味もなく疲れることがある。世の中で議論されていることについて自分も何か考えていないといけない気がして、色々考える。でもたくさんのことがそうであるように、「こうである」という模範解答はない。複雑だし、それが事実かどうかも分からない。延々と考えて、結果「分からないわ」とすべてをなし崩しにすることばかりだ。

 最近、いろいろなこと(台風の被害や北海道での大地震)があった。ツイッターでさまざまな情報を追いかけて疲れた。こんなに被害がひどいんだ、という情報だけが目について、「じゃあこれからのために自分たちは何をすればいいのか」まで思考が働かない。いまテレビでは、事故を起こした芸能人についてや、体操界でのパワハラ問題を(まだ)している。パワハラのほうなんて、コーチの暴力について誰も言及しなくなったじゃん。まあそれはどうでもいいのだけど。

 議論というのはどこか、自分も顔を突っ込んでおきたいという欲からされているような気がする。別に話さなくても構わないようなことで、今も延々と人々は頭を働かせている。ずうっとアクセルを踏み込んでいる。僕は少しブレーキを踏みたくなった。暗い部屋でラジオを聴くのは懐かしい感覚がする。チューニングを合わせるだけで、僕は孤独になれる。

キッズ・アー・オールライト

   僕の実家(マンション)は、窓から大きな山が見えていた。春には紅をさし、夏には青々と輝き、秋には赤く燃え、冬には淋しい姿を見せる。両親がこの部屋を選んだのも、この景色を気に入ったのが理由の一つらしい。僕もこの窓からの景色が好きで、日が沈むのを椅子に座ってじっと眺めたりしていた。それが何年前だろう。マンションの前に大きな老人ホームが建ち、その景観をほとんど塞いでしまった。今では、かすかに空と緑が控えめに目に映るだけで、なんだか物足りない。カーテンをパーっと開けても無機質な灰色が立ち尽くしている。僕や両親は「あの景色がよかったのにね…」と不満をこぼしていた。しかし、それでも年月が経ってしまえばそんな生活にも慣れてしまって、帰省しても「ああ、こんな感じだったね」とぼんやりと思う。

   人は慣れの生き物だ。ずうっと高いところにもずうっと寒いところにも順応していける。チョコミントが苦手な人も食べ続けたらなんか美味しいような気がしてくる(かもしれない)。人の「慣れ」の能力はすごい。でも、一方で、僕は変化が恐ろしい。たとえば気象の変化でカンタンに体調を崩すし、近所のローソンが違うコンビニになっても無意識的に「ローソンのおにぎり食べたいのに…」というストレスを抱えるだろう。変化が怖いから、継続している現状に甘んじている…気がする。

   なにしろ、一度ある料理にハマったらそればっかり作ってしまったり、チョコパイおいしいなと思ったら自然とチョコパイ買っちゃったりする性質だから、危ない。キリスト教が毎週日曜日を休みにした理由がわかる。ルーティンというのは楽だもの。規則を軸にしながら、いろいろ考えていけばいいから、頭を使わなくていい。その規則が少しでも崩れたらあたふたして、どこから手をつければいいのかわからなくなる。

   今日は、ほとんど聞かないザ・フーのベストアルバムを棚から取り出して、久しぶりに聞いてみた。やっぱり初期のI Can't ExplainとかAnyway, Anyhow, Anywhere、My Generationは色褪せないなあと思った。普段まったく聞かないけど。

   ふと考え事をしていると「僕って来年ハタチなんだよな…」という事実がとつぜん顔をだして、色々悩んでしまった。別に一つ歳をとるだけのことなんだけど、なんだか何かしないといけないような気がしてくる。やだなあ。でもツイッターのフォロワーさんが勉強している姿を見ていると、自分も何かしてみたいなという気が(わずかながら)起きてきた。明日、本屋に行こう。ザ・キッズ・オーライ!!

贅沢な余韻、美しさ

 夜遅く、親が寝静まった暗い部屋で、僕は本を読んでいた。iPhoneのライトを巧みに使って、村上春樹の『スプートニクの恋人』を読んでいた。仰向けになり、腕を上げて本を持っていたので、すぐに二の腕あたりが痛んでいたけど、気にしなかった。天気予報やニュースで言われていた通り、とても強い風が窓を揺らし、マンションも揺らした。耳の中に、雨音と風の音が入り込んでくる。イヤホンをしてもよかったけれど、その激しさや荒々しさがそれを許さなかった。町全体が深く悲しんで、周りに当たり散らしているかのようだった。 

 『スプートニクの恋人』は、今夜までに200ページほど読み進めていた。ここまでに何日かかったろうか。でも、まだ100ページほど残っていた。僕はもともと、一度波になるまで読むのが非常に遅いたちだった。200ページを読めたのは、もちろん読みたいという気持ちもあったけど、半分は「読み進めなさい」という義務的な部分があった。しかし、だ。僕は最後の100ページをあっという間に済ませてしまった。腹を空かせた子供が、料理の一口目はゆっくりと、そのあとは激しい勢いで食べすすめていくみたいに。

 この本は、かなり昔に買って、何ページ目かで放棄したものだった。村上春樹の物語によく登場する性的なシーンだけを読んで終わったような気がする。ごめんなさい。でもその当時だったら、この話を理解できていなかったと思う。じゃあ今できたのかと聞かれたら、「たぶん」と答えるしかないけど、とにかくまだ早すぎた。

 小説を読み終え、ふっと贅沢な余韻に浸っていた。風がどっと吹いて、背中にかすかな揺れを感じたりしたけど、全然気にならなかった。そしてふと、小沢健二さんの「さよならなんて云えないよ」が聴きたくなった。なんだかこの小説にぴったりな気がしたから。とっても明るいメロディに、天使みたいなボーカル。その裏にある大きな喪失感や切なさが、今はありありと見える気がした。

 目を閉じて、眠ろうとする。でも眠れそうになかった。いつものように、妄想がふくらんでゆく。村上春樹さんに「ここがすばらしくて…」と説明する自分、小沢健二さんに「この曲のよさは…」と話し出す自分。これから絶対に起こるはずのない対話を、夢の中でする。そうして、可視化できない熱を、ゆっくりと言葉にしていった。これは少し前からずいぶんしてきたことだった。うーん、友達があんまりいなかったからかな。はあ、こうやって書いていたら、お腹がすいてきた。ラーメン食べたい。

まとめ(3)

割の最近のものばかりですが、どれも個人的に好きなのでぜひ、ゆっくりと。

 1.ばらばら

 同じ人なんていないということ。

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2.夏への扉

 雨の中で夏が来るのを待っていた日々。

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3.ステレオ

 右耳と左耳の世界。

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4.汗がダーッ

 暑い暑い一日のお話。

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5.夜のあむあむ

 光が見せる色と、夜の危なさ、愉しさ。

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6.気持ちいい場所へ

 気持ちいい場所にいると、毛穴からワクワクが湧き出てくる。

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7.愛でる

 「何にもない」から何かを見つけていたい。

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8.緑の揺れる髪

 初夏に歩いた景色の素描。

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9.ひとりぼっちたち

 みんなひとりぼっちです。

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10.これでいいや

 低く見て、遠くを望む。

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11.熱の中

 久しぶりに母から連絡があった...。

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12.ぼくの好きな音楽 Vol.3

 オアシスが好きな理由と、好きな曲について。

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13.傘の下の空気

 雨の日のプランベート空間(晴れの日にはできないあれこれ)。

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