男子大学生のブログ

UKロックが好きな男子大学生のただのブログ

アニメ漬けの日々

大学生になってアニメばかり見ている。家にWi-Fiにつながってその日のうちにYoutubeで動画をあさりまくった。

 

四畳半神話大系

原作と違う部分もあったけど、伏線であったり、つげ義春のようなシュールな世界観が魅力的だった。大学に入ったばかりだったので、ものすごくサークルに入りたくなった...。入ってへんけど。

ハチミツとクローバー

杉田さんが出ていて、スピッツの音楽が挿入されていて、羽海野チカさんが原作だから、見ない理由がなかった。そして、最高だった...。「田舎の生活」を聞くたびにラストの、あのサンドイッチを思い出す。そしてきゅんとする。

言の葉の庭

正直、新海監督のアニメはこれしか見たことないのだけど、もうこれだけでいいんじゃないかと思えるくらい素晴らしい45分間だった。あの、秦基博の「Rain」の流れるタイミングが感動のピークだった。本当に、美しい映画。

聲の形

気のせいかもしれないけど、好きなアニメのキャラはだいたい入野自由が演じている...。なんというか...、コミュニケーションが大きなテーマなんじゃないかと思った。言葉にできない難しさをはらみながら、喜びや切なさがきちんとあった...。

坂道のアポロン

まあまず、YUKIのオープニングがすばらしい。菅野よう子さんの名前は前から知っていたけど、はじめて音楽を初めて聞いた気がする。とにかく、品のあるアニメだと思った。じゅん兄ちゃんが、かっこよかった。

神のみぞ知るセカイ

このアニメを見てると、ヒロインは誰だろ...と考えてしまう。アニメだけを見た僕は、ちひろが一番かわいかった、いや、ラストのあれ見てしまったら泣いてしまいます。何度もきゅんとさせられました。神でした。

氷菓

タイトルはもちろん存じてたし、原作も読んでみたかったので、見てみた。中村悠一って、こんないい声だったんだ。一番好きだったのが、映画のやつ。だけど印象的だったのが料理研究会会長だ。なにしろ、CVがね...。

8ユーリ!オンアイス

これは、女子が見るべきだと思うんです。でも、見てしまったんです。ホモォな部分が盛りだくさんでした。おばさんの気分でした...。ただ、さすが久保ミツロウさんだな...といいますか、モテキにしても、どこに「きゅん」となるのか分かってらっしゃると思いました。

クズの本懐

まあ重い。夜に見るべきじゃなかった。愛とは何ぞやと考えさせられ、回を重ねるごとに多少めんどくささも感じたが、ラストでどんよりとしこりのようなものを残していった。非常に麻薬的だなと思った。

 

はい、感想以上。

「月がきれい」

月がきれい」というアニメを知っているだろうか。僕は、何気ないきっかけでこのアニメを知った。何となく、新海誠監督っぽいのかなあなんて考えていた。「月がきれい」は、毎週火曜に一週間限定でYoutubeにアップされていて、僕はこれを毎週楽しみにしていた。でも、ここで最終回のネタバレをしようとは思っていない。

中学3年になった文芸部の小太郎と茜は、運動会の用務係でラインを交換してから、互いに意識し始める...。僕は、第三話「月に吠える」のラストでやられてしまった。というより、このアニメの特徴は「ライン」じゃないかなあと思う。小太郎は小説を書いていたりして、おそらく「文字だと思いを伝えやすい人」なんだろう。でも小太郎は、きちんとした思いを、なるべく言葉にしている(最終回はまあ、あれでよかったのだ...)。しかしそれは「大事なことは言葉にしなければ」なんてことではない気がする。「文字で伝えたいこと」「言葉で伝えたいこと」、どちらも素敵なんだと思う...(よくわからん)。文字だと伝わらないことを言葉で伝える、逆に、言葉で伝えられないことを文字で伝える、どちらにせよ、伝えるという思いがこめられている。

多分、このアニメを見た人たちは、「懐かしさ」もしくは「羨ましさ」を感じたんじゃないかな...。ライン、いやスマホさえなかった世代でも、交わされる言葉にドキドキしたり、恋愛模様にそわそわする。初恋を終えた人も、まだ初恋をしたことない人も。

もう二期はないのかな、と少し残念に思ったけど、とてもいいアニメが見れてしあわせだった。

有限なところから無限が生まれるとき

Twitterをしていると、ときどき運命的な出会いがある。いや、「出会い系」とかじゃなく。テレビだけで知った音楽なんて数が知れている。ラジオは、、、まあ知らない曲も流れるけど、だいたい「売れ線」だよね。でも、例えば数学の苦手な人が数学が得意な人に聞きに行くように、音楽が知りたければ音楽が好きな人に聞けばいい。ここでTwitterが出てくる。あ、レコード屋なんかに行って店員さんに「こんなのに似てる音楽ありませんかね」って聞きに行くのもありだね。

僕は最初、ビートルズが好きな人たちを適当にフォローした。すると今度はオアシスを知った。芋づる式にブラーを知った。こんな風に、「ビートルズを聴いている人が聞いている音楽」からどんどん広がっていった。ビートルズからだけじゃなかったけど。

最近になり、私は小沢健二を知った(そしてそこからコーネリアスを知った)。「へえ、タモさんが歌詞褒めてるんだあ」と、その歌詞を読んだ。

左へカーブを曲がると光る海が見えてくる 僕は思う この瞬間は続くと いつまでも

 多分、タモさんが褒めたと聞かなかったら気にしなかった部分だと思う。でも、考えるほどに意味が深くなっていく。「光る海」はほんの一瞬のことだけど、それが「いつまでも」続いていく。それは、「有限」なものが「無限」になるのと同じだと思う。たぶんこの「無限」に続く「有限」を、小沢健二は美しいと思うのだろう、と思った。これはきっと、いろんなところで言えるような気がした。恋は一瞬だけど、その恋の感覚はずっと続くし、誰かが書いた歌がその人が死んだ後も歌い継がれていく。劇的な一瞬ほど、永遠に沁みこんでいく。それは、切なさでも、歓びでも。......、歌詞の一つだけで、なんかいろいろかんがえちゃったな。

「MONKEY」を読んで

今日、大学の本屋で柴田元幸が編集している「MONKEY」の最新刊を購入した。目当ては、小沢健二の文章だ。オザケン(偉そうにこの呼称で呼ばせていただく)の文を読んだことは、今までなかった気がする。日本を離れ世界各国で暮らし、学んだ中でどういったことを思ったのだろうと、すごく興味が湧いた。

僕は文学部で学んだことはないし、ガイコクへ行ったこともない。そのガイコクの知識はほとんどはメディアによるものだから、もしかしたらアフリカや南米の本当の姿は僕の頭の中の妄想と異なるかも。いや、だからガイコクは面白いのか。

オザケンの文章を読んで思ったのは、ああこの人は文化を大切にされているな、ということだった。以前、鈴木孝夫さんの本で「日本人はイギリスとかアメリカの発音に囚われている」という文章を見た。確かに英語の授業では発音が結構厳しく教えられ(まあ、高校で養われるのは読解の能力が主だと思うけど)、実際に僕も英会話の授業でアメリカ人の講師に指導されている。でも、ここまで「日本的な外国語」が無意識のなかにまで潜在しているのだから、それを「日本の英語」にしてもいいんじゃないかな、と考えてしまう。ちょうどそれは、英語圏の人たちが小さい「つ」、つまり「っ」が発音しにくいのと同じで、長らく日本語を母国語としている人たちにとってr(アール)とl(エル)の発音の区別は難しいのだ。でも、もし「っ」が発音しにくくて「そっち」が「そち」になっても、それはれっきとした日本語だし、許容してしまえばいい。

明治時代に日本にガイコク、特に欧米の文化が入ってきて、沢山の言葉が生まれた。例えばてんぷら。元の言葉はtempera、だからテンペラというのかな。その音を日本人が勝手にテンプラと解釈して「天ぷら」なんて風に変化させてしまったのだ。よくよく考えてみると、それはものすごく面白いことだと思う。

今の時代は、よく「グローバル社会」なんて言われる。要は、文化と文化が触れ合いやすくなる社会だ。でも、それで起こってしまう問題がある気がする。なにかというと、「アメリカやイギリスの文化が優れていて、日本の文化は劣っている」という見方だ。何を根拠に欧米を正しいとしているかはわからない。でもすごく残念だなあと思ってしまう。日本のお笑い、ドラマ、沢山の文化は日本人の感性によって生まれたものだと思う。ガイコクには漫才はないだろうし、あんなツッコミもない。日本の恋愛ドラマは駆け引きをよく描くけど、海外ではそんなことはないらしい。でも日本のみんなは、引っ付いたり離れたりする二人を見てドキドキしたりキュンキュンしている。どちらが正しいということはない。そして、どちらも面白いじゃないか。

星野源 LIVE TOUR 「Continues」に参加して

土曜日の徳島は渋滞していた。5時、僕はアスティ徳島へ向かっていた。

会場に着いて、ツアーグッズのTシャツをきている女の子たちが沢山いて、私服で参加したことに少しばかりの後ろめたさを抱きながら、中へと入った...。

 f:id:r46abfcfd77x7mE05SE181:20170611233609j:image

 開演前の音楽(まだ行っていない人もいるだろうから、これも秘密で)が流れている間、僕は「ああ、あと何分で始まるじゃないかコノヤロ~」とか考えてた。(アスティ徳島はほかの会場に比べて狭いところじゃないかと思う。だから密度も高く、ライブ中ほんと暑かった)

ライブの詳細は、避ける。セトリとか演出とか、調べればすぐ出てくるだろうし、多分そっちのほうが人気高いんだろうけど、なにしろまだツアー中だし、僕も「源様やばいよ...」という余韻が残っているのでそれを言葉にしたいだけなのだ。

ツアータイトル「Continues」にこめた源さんの気持ち、というか意思が溢れ出ていた気がする。源さんがいままで聞いてきた音楽をどう消化して、自分なりに表現するのかを体現していた。しかも、そこには確実なリスペクトがあった。

お姉さんもおっさんも、手をたたいたり、揺れたり、ダンスしたりしていて、それぞれはばらばらな動きだったけど、「星野源の音楽」という一つの魔法の中にいるような気がした。

f:id:r46abfcfd77x7mE05SE181:20170612001009j:image

 

インディーズなこころ

時間があるときには、Youtubeをひらいて新しい音楽を探している。特にインディーミュージック。インディーズっていうのかな。今これを書きながら聴いているのはOkey DokeyのWavy Gravy。なかなかいいなと思った。なぜインディーズがいいと思うのか、それは彼らの多くが「きちんと」しているからだ。決してメジャーの人々への侮蔑を言いたいのではなく、本当にびっくりするぐらい彼らは「きちんと」している。そして、これは僕の偏見、穿った見方かもしれないけど、「売れ線の曲」には聞こえないのだ。純粋な心で「いい音楽」を、「面白い音楽」を作ろうとしている。そんな風に映る。だから、何だか60年代の音楽に聞こえるものもある。とっても不思議な気持ちになる。

そして彼らのスタイル、ファッションがやけにかっこよく見える(これも偏見だけど、だいたいほっそりしていて、長身なのだ)。MVがなくて静止画(多くの場合CDのジャケット写真)のまま、なんてこともあるが、このジャケもセンスが良かったりするから、本当に恐ろしい。

あとこれは僕の汚い部分だけど、「いち早く知っていた」というのがうれしかったりする。自分が昔から知っていたバンドが売れたら、ちょっとだけ「えっへん」っていう気持ちになる。

音楽のすばらしい部分は、つながっている、というところだと思う。つまり、過去の音楽に影響を受けた世代が新しい音楽を生み出していく。そしてそれがまた新しい世代へとつながっていく。さっきの言葉と矛盾するけれど、僕は最新のインディーズの音楽から「今」を感じたがっているのかもしれない。

Y字路

人生のたとえ方にはそれはもう沢山あって、登山やらマラソンやら。

僕はなんとなくY字路だと思っていて、それはなぜかというと横尾忠則さんの「Y字路」シリーズがとっても好きだからだ。あーつまらない。

別にYという字に拘らなくても、Wでもいいんだけど、とにかく沢山の選択肢が僕らにはあって、僕らはいつもそれをえらばなくてはならない。

 

今日、ぽかんとしていたら、思い浮かんできたことがある。もし僕が今の大学を選ばずに地元の大学にしていたら、ということ。こういう「もしあのとき...していたら」という空想は大概つまらないし、僕の場合もそうだ。でも振り返ってみたら、ここの選択肢は結構おおきくて、なにしろ故郷を離れるか離れないかの違いだ。僕は一人暮らしを選択して、一生懸命小論文を書いた。万が一のために後期の面接練習をした。僕は話すのが苦手だから担任の先生に苦笑いされながら、「ああこの前期を落としたら絶対ダメなんだろう」と、終わらない「最悪の場合」を頭の中で飼いならして、結果を待った。

 

大学の講義室の窓から木の緑をぼんやり眺めながら、もし「違うほうの道」を選んでいたら、きっと今の自分はいないだろうと思った。僕は別れを知った。恋しさを覚えた。京都の友の近況を楽しんだ。「高く立派な木は幹が立派なんだ。だから僕も基礎を作り上げないと」と、そのあと3分で消えてしまう格言めいたものを思いついた。

もう戻れない。もう戻れないけど、ここまでとりあえず辿り着いた。さ、おいしいものでも食べよ...。